華々しいものでなくても。
ことり、と目の前にカップが置かれる。
真っ白なカップとソーサー、華奢な持ち手、飲み口を囲むしっとりとした金色の塗り。そのなかで波打つ、凛とした珈琲。
ここは、東京・蔵前にある珈琲店。
限られた照明しかない店内は、昼間なのに真夜中のバーのような雰囲気を醸し出している。店内は2人席が3つと、それ以外は全てカウンターの1人席。おしゃべりはなるべく控えめに。コーヒーとの時間を楽しみたい人だけが来る空間。
来てみたいと思っていた場所。オーナーの著書や、お店のSNSを見てその気持ちを募らせていた場所に、ようやく来られた。そうして目の前に置かれた一杯に気持ちがたかぶる。
華奢な持ち手を摘んで、静かに口をつける。自然とまぶたが閉じて、意識が舌の上に集中していく。
美味しいだろうな、とは思ってた。
きっと感動するだろうな、とも思ってた。
でも自分の心の動きは想像以上で、すこし目頭が熱くなるほどだった。たった一杯の珈琲で、わたしは名作映画を観たあとのような気分になる。
「心が震えるものをつくりたい」と考えるようになったのは、大学生の頃だった。
きっかけは、好きなバンドのライブ。あの熱狂。そしてそれを共有している場の幸福感。そしてその後も続く「明日も頑張るぞ」という前向きな気持ち。ライブに行ったことがある人ならば体感したことがあるであろう「あの感覚」に鳥肌が立ち、自分もこういう「心が震える瞬間」をつくる側になりたいと思ったのだ。
とはいえ、自分がミュージシャンになりたいと思ったわけじゃない(そんなこと1ミリも考えなかった)。何か違う形で、わたしにできることを探していた。
そんな気持ちを抱きながらの就職活動はあまり上手くいかず、志望していた業界はほとんどお祈りされ、文具メーカーに入った頃にはもう、「心が震えるものをつくりたい」という気持ちは見えないところに蓋をして封印していた。実用的な文房具では難しいだろうし、ましてや入社後わたしに与えられた役目は「経理」で、何かを作り上げる仕事ですらなかったから。
でも結局は、その蓋をしたはずの想いがゴトゴトと音を立てて溢れ出し、無視できなくなって、また自分にできることを考え始めるのだけれど。
そうして今、わたしは「心が震えるものをつくりたい」と思いながら、じぶんジカンでノートをつくっている。
実用性のある「文房具」は、すぐに役には立つけれど「使いやすいなあ」ぐらいの感動で終わってしまう。
けれど気づいたのは、文房具ではなくて「コンテンツ」をつくると考えれば良いということ。そうすれば見た目は文房具であっても、実用性や即効性とは異なる次元にある「心を震わせるもの」になり得るのだと、感じている。
なみなみと入っていたはずの珈琲も、残りわずか。真っ白いカップの底が見える。
たった一杯の飲み物で、これだけ人の心を温めることができる。幸福な気持ちを届けられる。
その「たった一杯」の裏には、こだわりや誠実さ、そして何かを選ぶという決断がある。それにこの飲み物は、たぶん喉を潤すためのものでも、目を覚ますためのものでもない。「飲み物」の即効性や実用性から離れた次元で、裏にある想いが形となったのがこの一杯で、だからこそこんなにも、わたしの心は喜んでいるのだと思う。
自分の心を、誰かの心を、じんわりと温めてほぐしていくのは、圧倒的なステージ上のパフォーマンスだけではない。莫大な費用をかけてつくるエンターテインメントや、高級なもの、荘厳なもの、華やかなものだけじゃない。
こんなにも素朴で、静かな「一杯の珈琲」に、ここまで心が震えるのだ。
だからわたしも、自分が生み出せる静かで素朴なものに、全力を込めて。自分の心が震えるもの、そして誰かの心を温められるものを、つくっていけたら。
そんな気持ちを思い出させてくれた、素敵な一杯。またこの気持ちを忘れそうになったら、あのお店に取り戻しに行こう。
おわり
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運営しているブランド「じぶんジカン」では、自分と向きあう時間をつくるノートを販売しています。毎週月曜&金曜が発送日です。
エッセイ集も、ぜひ。