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野次馬心で探らない

「人間関係において、何か意識していることはありますか?」と聞かれたら、真っ先に「野次馬心で人を探らないことです」と答えると思う。

野次馬。自分とは直接関係のないことに、興味本位で群がること。

わたしがここで言う(というか勝手に命名した)ところの(「野次馬心やじうまごころ」とは、相手と自分の関係を築く上で必要のない情報なのに、自分勝手な興味で覗こうとする気持ちのことだ。

例えば、相手の収入の話。
わたしはこれまで「気になる」と思ったことが何度もある。他人の収入がどれくらいなのか、気になったことがある人も多いんじゃないだろうか。

でもわたしは、友達には聞かない。そして "聞かない理由" は「聞くなんて非常識でしょ」というものではない。それが、わたしが相手と関係を築く上で "必要のない情報" だからだ。

「相手の収入が気になる」という気持ちの出どころは、「相手のことをもっと知りたい」という想いではなくて、明らかに「ただ気になるから」という野次馬的なものだと思う。もしも友達が答えてくれたとして、それが高かろうが低かろうが、わたしと相手が関係を築く上で何かが変わるわけじゃない。

そういう野次馬的な動機で、土足で相手の心に踏み込むようなことを、しないようにしたいと思っている。

……思っているのだけれど、過去に何度かやってしまったことがある。

例えば。
少し前に、友達が中古の一軒家を購入した。

どうしてそのエリアにしたのか、なぜ一軒家なのかといった話のキャッチボールの中で、そのは起きた。

ちょうど自分も引っ越しに興味がある時期だったこともあって、ぽろりと「その場所で中古の一軒家って、どれくらいの金額で買えるものなの?」と口から出た。出た瞬間「やってしまった」と思った。

わたしは友達の懐事情を探りたいわけではなくて、そのエリアの相場に興味があっただけなのだけど、それはもはや言い訳に過ぎず、よく考えればそんなの本当に知りたいなら後で調べればいくらでも情報がインターネットに落ちている。そもそも「友達のことをもっと知りたい」という動機で出た質問じゃあないことは明らかだ。

友達はとても素直で、たぶんそういう細かいことを気にしない人なので、答えようと口を開いて「えーっとね」と言いかけていたけれど、わたしは急いでそれを制した。「ごめん、懐事情を探ろうとしたわけじゃないの」と正直に謝った。

友達は「えっ、別にいいのに」と笑っていたけれど。わたしは、自分に随分がっかりした。そんなことよりも、もっと聞きたいことがあるじゃない。相手が何を考えたのかとか、どういうお家にしたいとか、そういうことが。

***

ちなみに「野次馬心で人を探らないこと」を意識し始めたのは、ここ2〜3年のこと。

思えばそれ以前のわたしは、ひどいものだったな。人の心に土足でずけずけと入っていくような質問を平気でしていたような気がする。それは相手と話しているようで、実は話していないのと同じだ。だってたぶん、相手を「人」ではなく「情報」として見てしまっているのだから。そりゃあ人間関係がなかなか上手くいかなかったのも、納得である。

ここ2年ぐらい「何を考え、何を想っているのか、もっと知りたい」という気持ちを人間関係のベースに据えるようになってからというもの、「友達」が少し増えたような気がする。

相手のことを知りたい。

そんな、人間関係の基本の「き」のようなことだけれど。

それをやっと意識するようになり、ようやく人間関係が楽しいと思えるようになった感じがするよ。


おわり
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じぶんジカン松岡
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