「本当はやってみたい」が言えなくて
「いつかやってみたい」と思いながらも、勇気が出ずに「まだ早い」「できっこない」と、自分に言い訳してること。
「髪の内側をブリーチしてみたい」が、そのひとつだった。
インナーカラーをしている人を見ては「素敵だなあ」と憧れ、美容院に行くたびに「インナーカラーしたいです」と喉まで出かかっては、「あなたが?あれはオシャレな人がやるものです、似合わないのでやめたほうが良いですよ」と言われることを勝手に恐れ、言い出せないまま2年が経った。
冷静に考えれば、美容師さんがそんなこと言うはずない。
だけれど自意識の過剰さとは恐ろしいもので、その瞬間は本当に「言われただどうしよう」と思って、怖くなってしまうのだ。
それほどまでに「オシャレな人」に憧れ、同時に「自分はそこから遠い存在である」と思っていたとも言える。
何かを変えることは、自分の内外にある様々なハードルを超える作業で、それは大変面倒なことでもある。
当然、変えないほうがエネルギー消費は少なくて済む。
でも実は、一度「やってみたい」「こうありたい」の景色を覗いてしまったら、もうそのイメージが頭の中から消えることはないんだと思う。
つまり本当は、そちらへ行きたいのだ。
あとは自分が動いて、窓の外に出て行けるかどうか。
それまでの間はずうっと「やりたいなあ」「いいなあ」と焦がれながら、そうではない現状をなんとか肯定するために「でもまあ今も悪くはないし」と自分に言い聞かせる。
インナーカラーに憧れて、2年が経った頃。
引っ越してきた街で、初めての美容院にて。相も変わらず「インナーカラーをしたい」と言い出せず、いつもと同じ「オリーブ色強めのベージュ」をオーダー。
カットとカラーが終わり、仕上がった髪を見て「これもこれで素敵だよね」と満足し、「素敵な色、ありがとうございます」と美容師さんに伝える。
「美味しそうになりましたね〜、あっ褒め言葉ですよ、美味しそうに染まると嬉しいんです」と答えるやや独特な感性の美容師さんだった。
「この人好きだな」と思って、ここに通おうと心の中で決めた、その時。わたしのボブのまるみを撫でながら、美容師さんが言った。
「インナーカラーやハイライトカラーも似合いそうですね」
突然のことに驚き固まる自分。
インナーカラーが似合いそうですね?本当に?
曖昧な返事しかできないわたしをよそに、美容師さんは手際良くお会計の場所まで誘導し、レジを打ち始める。
お財布のお金を見つめながら、ぼそりと「インナーカラー、実はやってみたいなと思ってて」とつぶやいた。
レジを打つ手をとめて美容師さんが微笑む。
「じゃあ次はぜひやりましょう、またお待ちしておりますね」
*
そうしてようやく、晴れてわたしはインナーカラーデビューしたのである。
いざやってみて、知ったこと。
ブリーチに乗せた色は、思った以上に早く抜けること。濃い色を入れるとシャンプーの泡がその色に染まり、濡れた髪のまま放置すると白いタオルやパジャマに色が移ること。顔のまわりの印象が明るくなること。会う人との会話のきっかけになりやすいこと。なぜか夫が「芸能人みたい」と言ってくること。
その驚きを、ちくいち美容師さんに報告した。
「新しい世界を知れて、勉強になります」と言うと、「やってみるとわかることって、ありますよね」と美容師さんは頷いた。
そうなのだ。
「やってみたいな」と思っていた時に見えていた景色はほんの一部で、実はその奥には「見ているだけではわからないこと」がたくさんある。
その「見ているだけではわからないこと」には酸いも甘いもあるけれど、それらは総じて人生のスパイスになる。
これはすべてにおいて言えることで、今回はなんてことのない髪の毛の話だったけれど、「やってみたい」と思った時点でもう気持ちはそちらに引っ張られていて、だったらせっかくの今世の中で、その世界における様々な経験を味わってみるのが良いのだと思う。
ちなみにインナーカラーをした後のわたしは、以前にも増して背筋が伸びた。
鏡を見るたび「あの憧れのインナーカラー」がわたしの髪の内側にある。それだけで嬉しくなる。
「このわたしなら、何でもできそう」という気分にすらなる。
それまでオシャレにあまり関心がなかったけれど、それから少しずつ、メイクや服に興味も出てきた。
知らない世界がたくさんある。
やってみたいこともたくさんある。
時には勇気が出ないこともあるけれど、自分は本当は踏み出したいんだって、踏み出したら新しい発見が待っているんだって、それさえわかっていれば。
自分のタイミングで、しっかりとした足取りで、踏み出していけるような気がする。
おわり
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わたしが運営しているブランド「じぶんジカン」では、自分と向きあう時間をつくるノートを販売しています。毎週月曜&金曜が発送日です。
エッセイ集も、ぜひ。