一過性脳虚血発作で入院したお話①

入院したのは4年前の話です。
今は後遺症もなく、ごくごく普通に暮らせています。

が、4年前の9月の始め、一過性脳虚血発作(TIA:Transient Ischemic Attack)という状態になりました。

掻い摘んで言うと「脳梗塞になったけど24時間以内に症状が消失したよ」ということです。

いままで大きな病気もなく、入院とは無縁の生活を送っていたので初入院となりました。24時間以内に症状が消失しているので、勿論後遺症もありません。若干の違和感は残り、主治医の先生にも症状を伝えましたが、TIAとは無関係ではないかな?という事でした。

自分の中では、色々と転機となった体験だったため、当時の状況を思い出しながら書いてみようかと思います。

左手が重い

9月の始め、まだ残暑が厳しく、熱帯夜とまでは行かないまでも、夜は寝苦しかったと記憶しています。

前日はカミさんとドライブに出かけ、沖縄そばを食べたり、秋田駅前で買い物をしたりと、いつもの休日を過ごしていました。

月曜の朝、7:00過ぎに目覚めの一服。1階に降りて洗顔、着替えのルーティーンから朝食を貯め始めた頃から、左手に違和感を感じました。

だるく重い感じで力が入りません。

ご飯茶碗を置いて、手を振ったり上腕を揉んだりしてみましたが、感触は変わりません。そのまま食事を終えて、歯磨きを始めたのですが、立っているとバランスが取りづらく、キッチンの椅子に座って歯磨きを続けました。
まだ、左半身はかろうじて動かせました。歯磨き中も左手はだらんと下がりがっていましたが、持ち上げようとすると重いながらも持ち上がるし、ニギニギもなんとかできていました。

救急車を呼ぶ

歯磨きが終わった頃には、だるさと重さは左手だけではなく、左半身全体に広がっていました。立っていてバランスが取れなかったのは、左足が麻痺が始まっていたのでしょう。

なにか異常が起こっていることは自覚していて、時間を追うごとに状況が悪化してきたので

「これは病院に行かないとまずそうだな……。」

とは思っていました。
とは言っても、まだ事の重大さに気づいておらず、麻痺しつつある身体で階段を登って2階に上がり、自室で食後のタバコを吸いながら、同僚に病院に行くので遅刻する旨、電話を入れました。

タバコを吸い終わってから、保険証と財布免許証などの準備をして、重い左手と左足を引きずりながら階段を降りました。
よくここで階段から転げ落ちなかったものです。ここが自分的には一番のヒヤヒヤポイントです。

当時は実家住まいだったので、1階には両親が居ました。
手足を引きずっている様は見られずに居間にたどり着くことができたので、あぐらで座って安定してから、母を驚かせないように、のんびりした調子で声を掛けました。

「ちょっと左手足がしびれて動きづらいから病院に乗せてってくれない?」

これを聞いた母が父を呼び、状況を説明したところ、父のナイスジャッジ発動。

「救急車呼ぶか?」

左半身の自由が効かないので「脳かな?神経系かな?」とは薄々思っていたので、ここで父母の車で病院に行く案はやめて、救急車を呼ぶことにしました。

自分で119に電話をかけ救急車の手配をしたのですが、症状の説明が終わり細かい住所の説明をしている段階で、急激に倦怠感がでて、父に電話を代わってもらいました。多分、血圧が急上昇していたのだと思います。

朝イチの喫煙で血管が収縮したところで、どこからか血栓が飛んで右脳のどこかに詰まり、食事、歯磨きの間に20分程かけて徐々に左半身が麻痺しだし、食後の一服でさらに状況は悪化したという流れです。

119番に電話をしているこの時が、発作のピークで、多分この後に血栓は運良く溶けて血流が回復しだしたのだと大見ます。

救急車が来るまでの数分間は、カミさんの職場と自分の職場の連絡先を両親に念押しして渡したり、あっというまに時間が過ぎました。

救急車に乗る

救急隊が到着した時点では、まだ強い倦怠感があるものの、左半身の麻痺は徐々に回復しつつあったと思います。救急車に乗る前に本人確認や、搬送先の聴き取り、意識レベルの確認などがあったと思います。

「歩けますか?」

と聞かれて、「はい」と答えたものの、結局人生初のストレッチャー体験となり、座った状態から救急隊の方々に抱えられてストレッチャーに乗せられ、そのまま救急車に乗せられました。
病院につくまでの15分ほどは、

「救急車の中って、意外にうるさくて揺れるな」

などと、のんきなことを考えていたのを覚えています。

そんなこんなで救急車が病院に到着して、搬入口からストレッチャーのまま搬入され、病院のベットに載せ替えられることになりました。

この時点では、ほぼ麻痺は回復していたようで、抱えられて乗り換えたのではなく、自分で支えて乗り移った記憶があります。

救急センター

病院内の救急搬入口のそば、救急センターに入ってすぐ、再び意識レベルの確認や本人確認等、口頭での色々な質問と並行して、色々な機器の取り付けと点滴ルートの確保をされたと思います。(このあたり、あまり細かい説明もなく物事が進んでいくので、自分が把握できたことだけを書いています。)

搬入時に麻痺から回復しつつあり、倦怠感もなくなっていたので、

「終わったらタクシーで帰るか、母に車で迎えに来てもらって、一旦家に帰って、午後から出社かな?午前中にあった韓国出張の打ち合わせ、出れなかったけど大丈夫かな?」

などと考えていました。


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