チャイコフスキーの《悲愴》をめぐる物語――「運命」の影が囁く、最後の交響曲
クラシック音楽の世界で“ロマンティックなメロディ”という言葉がぴったり当てはまる作曲家といえば、ロシアの大作曲家ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーでしょう。バレエ《白鳥の湖》《くるみ割り人形》や交響曲第4番・第5番など、どれも情熱的かつダイナミックな音楽ばかり。
そのチャイコフスキーが晩年に作曲し、自ら「これが最高の作品だ」と語った交響曲こそ《第6番 ロ短調 作品74》。通称《悲愴(ひそう)》。実はこの曲、初演の直後にチャイコフスキーが急逝したことも相まって、古今東西の音楽ファンから特別な“神秘”や“深い悲しみ”をまとった作品として大切にされています。
しかし、《悲愴》ってどこがそんなに「特別」なのでしょうか? 今回は作曲背景や独特の楽章構成、そして第3楽章で一瞬顔を出す“あの運命の旋律(第5番の動機?)”の謎に迫りながら、チャイコフスキー最後の交響曲を一緒に味わってみたいと思います。
■ 作曲の背景――晩年の苦悩と“秘密のプログラム”
1. 1893年、死の直前に完成
交響曲第6番が書かれたのは1893年、チャイコフスキーが53歳のときです。実はこの頃、彼は精神的にも不安定な状態にあったといわれます。ロシア音楽界で既に大作曲家として地位を確立していた反面、プライベートでは孤独感や自責の念に苦しみ、健康面も万全とは言えない……そんな繊細な心情が、この第6番の音楽に深く投影されていると多くの人が感じています。
2. 「これには秘密のプログラムがある」
チャイコフスキーはこの曲を作曲中、甥であり親しい友人でもあったウラディーミル・ダヴィドフ(愛称ボブ)に宛てた手紙の中で、「これは自分が心に抱いた想念(ある物語)を音楽で表現したが、その内容は公開しない」という趣旨のことを述べています。いわゆる“秘められたプログラム”があったらしいのです。
そのため、後世の研究者やファンは、「もしかしてこの曲はチャイコフスキー自身の人生や死の予感を描いたのではないか」「恋愛や苦悩の告白が暗示されているのでは?」と、いろいろ想像をめぐらせてきました。真相は依然としてはっきりしませんが、“言葉にできない苦悩や祈り”を音楽に詰め込んだという点が、多くの人の胸を打っていることは間違いありません。
■ 独特の4楽章構成――なぜ最後が暗く終わるのか
普通、大曲の交響曲は最終楽章で大団円の盛り上がりを作り、「じゃんじゃん!」と明るく締めくくることが多いですよね。ところが《悲愴》では、最終楽章(第4楽章)が**“Adagio lamentoso(遅い速度の悲嘆)”**で終わります。つまり、クライマックスのように聴こえるのは第3楽章で、観客が「ブラボー!」と拍手をしてしまったところで、まだ続きがある……という有名なエピソードもあるのです。
第1楽章:Adagio - Allegro non troppo
序奏は低弦が重々しく鳴り、やがて切ないメロディが湧き上がる。これが全曲の“運命”や“苦悶”を象徴するように登場し、盛り上がりを経て沈んでいく。第2楽章:Allegro con grazia
5拍子のちょっと不思議なワルツ風楽章。夢見るような浮遊感と、どこかぎこちないリズムが魅力。第3楽章:Allegro molto vivace
熱狂的な行進曲調が炸裂する。まるで勝利を告げるファンファーレのように華々しく終わるため、この直後に拍手が起きやすい。第4楽章:Finale: Adagio lamentoso
しかし、それに続く最終楽章は重苦しい悲哀の音楽が延々と続き、最後は静かに息絶えるように終わる。まるで曲全体が深い深い闇の底へ沈んでいくかのような印象だ。
この構成ゆえに、**「人の人生は最後に勝利で終わるわけではなく、闇と死に包まれていく」**という解釈がしばしば語られます。チャイコフスキー本人はそう断言していないものの、このあまりに衝撃的な幕引きは“死の予感”“葬送音楽”とも重なり、聴衆に強い印象を残すのです。
■ 第3楽章に忍ばせられた“運命の動機”?
――「あの5番の主題が聴こえる…」という不思議
1. 「G-C-B-A-G」のフレーズに注目
チャイコフスキーの前2作の交響曲、つまり第4番(1877-78年)と第5番(1888年)には、作曲者自身が「これは運命を表すモチーフだ」と認めたり、あるいは“宿命のように全曲を貫く主題”が設定されていることが知られています。
とりわけ第5番の冒頭に登場する「G → C → B → A → G」という下行する動機は、“重苦しい運命のファンファーレ”として全曲を循環する形で使われています。実は《悲愴》第3楽章をしっかり聴き込むと、トランペットやホルンが、まさにこの「G–C–B–A–G」に類似した音形をひそかに鳴らしている瞬間に気づくんです。
もちろん第5番の動機をそのままコピペしたわけではありませんが、「あれ、これ5番の運命モチーフにそっくりじゃない?」と感じさせるだけの明確な類似がある。もしそれが意図的ならば、「悲愴」は自作の“運命モチーフ”を暗示しながら展開する交響曲……という見方も可能になるわけです。
2. なぜ勝利の行進の裏で“運命”が顔を出す?
第3楽章は、先ほど触れた通りアップテンポで豪華な行進曲調になっており、聴いていると「これでフィナーレか!」と思うくらいの盛り上がりをみせます。
ところが、もしそこに第5番の“運命モチーフ”が紛れ込んでいるのだとすれば、**「この勝利は偽物では?」「運命はまだ克服されていないのでは?」**という疑念が湧いてきませんか。
実際、第3楽章で華やかに幕を閉じた直後、すぐに始まる第4楽章は沈痛極まりない音楽で、聴き手の感情を容赦なく奈落へ突き落とします。あの華々しい行進曲は一種の錯覚だったかのように、運命からは逃げられず、最後は無情の闇がすべてを包み込む……。そんなドラマ性が際立って見えてくるわけです。
3. チャイコフスキー本人の意図?
もちろん、作曲者の手紙や自筆譜の余白に「ここで第5番のあの主題を引用した」と明確に書かれているわけではありません。したがって、
偶然似た形になっただけ
無意識のうちに自分のモチーフを引用してしまった
あえて“隠し味”として引用し、自分の交響曲群を運命のテーマで結びつけた
――等々、さまざまな可能性があります。
それでも、「あの強烈な運命モチーフを彷彿とさせるフレーズ」が存在すると知ったうえで改めて第3楽章を聴くと、その勢いの裏にひそむ暗い影がいっそう色濃く感じられるはずです。音楽そのものが、「運命からは逃れられないんだよ」と耳元で囁いてくるかのように……。
■ 「勝利か? いいや、破滅だ」――聴衆を惑わせる結末
1. 初演のエピソード:拍手のタイミング
1893年10月28日(旧暦)に行われたサンクトペテルブルクでの初演で、チャイコフスキーがタクトを振ったのはこの曲1回きりでした。そして、この初演で伝わる有名なエピソードが「第3楽章の最後で盛大な拍手が起こった」というもの。
劇的な行進曲が絶頂を迎えたところで自然に拍手が起こってしまい、しかも観客の中には「これが終わり?」と勘違いした人もいたとか。もちろんそのあとの第4楽章が始まると、会場は一転して沈黙と悲愴感に包まれました……。
2. 終楽章の静寂と“死”
第4楽章「Adagio lamentoso」は、重い足取りで始まり、どこまでも深く沈んでいきます。終わり近くのコントラバスやファゴットのうめき声のようなフレーズは、人によっては“心臓の鼓動が止まる”ように聴こえるとも言われます。
やがて、かすかな弦のトレモロ(震音)が消え入るようにフェードアウト……。本当に音が途切れるまでの一瞬、ホールに張り詰める静寂は言葉にならない強烈な余韻を残すのです。ここで改めて「なぜ最終楽章でこうも悲壮な音楽を書いたのか?」と考えずにはいられません。チャイコフスキーの“死の予感”が直接投影されているとか、人生の儚さを象徴したとか、多くの解釈が生まれるのも無理はないでしょう。
■ 作曲者の死と“悲愴”の象徴性
1. 初演9日後の突然の死
衝撃的なのは、チャイコフスキーがこの曲の初演からわずか9日後に亡くなったことです。死因についてはコレラ説、自殺説、その他諸説入り乱れていて、今なお議論が絶えません。
彼の死がこの交響曲とあまりにも密接に重なったことで、後世の人々は「まるで自分のレクイエム(鎮魂曲)を書いたかのようだ」「死を予感していたのではないか」とドラマティックに語り続けてきました。現実と音楽が奇妙にリンクした結果、《第6番》はいっそう神秘的なオーラを帯びることになったのです。
2. “悲愴”というタイトル
タイトルの“悲愴”はロシア語では「パテチーチェスカヤ」(Патетическая)と呼ばれています。これは弟のモデスト・チャイコフスキーの発案によるものと言われ、英語や日本語で「Pathetique(パテティック/悲愴)」と定着しました。
一方でチャイコフスキー本人は、実際には別のタイトル案(“Programmnaya(プログラム付き)”など)を考えていたとも言われます。最終的に「悲愴」の名が付いた結果、単に“悲しみに満ちた交響曲”という以上に、ドラマティックな悲劇性や深い感情性を象徴する作品として後世に広まっていったわけです。
■ 第4番・第5番との繋がり――三大交響曲としての集大成
チャイコフスキーの後期交響曲を語るとき、よく“4番・5番・6番”が三部作として並び称されます。どれも「運命」を巡る闘いや葛藤が底流にあるとされ、次のようにまとめられることがあります。
第4番(1877-78):
冒頭のホルンとファゴットによるファンファーレを、作曲者自身が手紙で「これが運命を表す」と説明。激烈な苦悩とフィナーレの熱狂的な“陽気”が対照的。第5番(1888):
反復する動機(G–C–B–A–G)を曲全体で回帰させ、最終楽章で“運命を克服したかのような”勝利に至るかに見える。ただし、その行く末には一抹の不安も残る。第6番(1893):
いよいよ「運命」を真に逃れられない形で描き切り、最後は絶望の静寂へ。勝利などあり得なかった……という結論へ落ち着く。
こうして並べると、4番・5番・6番のクライマックスがどんどん暗い方向へ突き進んでいくようにも見えます。あるいは、第5番でいったん運命を乗り越えたものの、結局第6番で再び「無理でした」と破綻していく流れとも取れます。
「第3楽章に潜む第5番の運命モチーフらしきフレーズ」は、第5番の“運命の勝利”が実はあやふやだったことを暴き立てるような仕掛けかもしれませんね。
■ “悲愴”が投げかけるもの
《悲愴》が世に出てから130年以上が経ちますが、いまだに人々はこの曲を聴いて心を揺さぶられ、「これは人間の魂の叫びだ」「死と再生の寓意だ」「チャイコフスキーのカミングアウトだった」など、さまざまな解釈を重ねてきました。一方で、作曲者自身はあまり説明を残さず、あくまで“音楽”として語ることを選びました。
その結果、《悲愴》は聴き手それぞれが自由に物語を読み込める作品になっているとも言えます。「暗闇への沈潜」に徹底して寄り添うのもいいし、「そこに秘められた一縷(いちる)の希望」を感じ取るのもあり。あるいは「壮麗な第3楽章にこそ、人間の生命力を見出す」という聴き方だってできます。
■ まとめ――最後の響きから浮かび上がる“運命”の姿
チャイコフスキーが遺した交響曲第6番《悲愴》は、その構成の異質さと作曲者の死のタイミングから、今もなお多くの神話や謎をまとった特別な作品とされています。とりわけ
勝利を思わせる第3楽章の奥底に、かつての“運命モチーフ(第5番)”を想起させる旋律を潜ませる。
それに続く終楽章では一気に悲嘆の底に沈む構成。
「生涯を通じて彼が追いかけた“運命”の主題が、ついに最終作品で取り返しのつかない破局に至る」と捉えられる。
こうした要素が重なり合って、聴き手を強烈に心を乱される体験へ導いてくれるのです。
ぜひ、次にこの《悲愴》を聴くときは、第3楽章のあの行進曲に潜む“影”に耳を澄ませてみてください。華々しいはずのトランペットやホルンの響きの裏で、「G–C–B–A–G」という運命の足音が微かに聞こえるかもしれません。そして、その正体不明の運命が最終楽章で如何なる姿をとって私たちの前に現れるのか――チャイコフスキー最後の交響曲が描く“人生の悲哀と苦悩”は、今なお多くの人の胸を深く震わせ続けています。