ストラヴィンスキーの《火の鳥》:華麗なる祝祭の裏に潜む不穏――皇女は真の仕掛け人?

「ストラヴィンスキー」という名前を聞くと、まず《春の祭典》の革新的リズムに代表される「20世紀音楽の革命児」というイメージを思い浮かべる方も多いかもしれません。でも、彼がその名を一躍轟かせた出世作こそ、実はバレエ《火の鳥》(1910年初演)なのです。煌びやかで絢爛豪華なオーケストレーション、ロシア民話を題材にした幻想的な物語。けれど、この作品の結末をよく味わってみると、いわゆる「ハッピーエンド」として片づけられない“奇妙な不穏さ”が隠されています。

今回は、そんな《火の鳥》の終曲に注目し、「実は王子がハッピーエンドを迎えたのではなく、皇女こそがすべてを掌握していたのでは?」という説を軸に、ストラヴィンスキーならではのモダンな和声感や歴史的背景を交えながら考えてみたいと思います。


■ あらすじ概観――悪しき魔王と囚われの姫君

《火の鳥》は、バレエ・リュスの主宰者セルゲイ・ディアギレフの依頼で書かれた作品です。初演は1910年、パリ。バレエ・リュスといえば、後に《ペトルーシュカ》や《春の祭典》でセンセーションを巻き起こすことになる、まさに当時最先端の芸術集団でした。

物語はロシアの民話をベースにしています。主人公の王子イヴァンは、森で不思議な「火の鳥」を捕まえますが、彼女が差し出す魔力の羽根を手に入れて放してやる。するとイヴァンは魔王カスチェイの城で、美しい王女(皇女)をはじめとする13人の乙女たちに出会い、一目惚れ。ところが彼女たちはカスチェイの呪いに囚われの身でした。最終的には火の鳥の助けでカスチェイを打ち倒し、王女たちは解放、王子と皇女の結婚祝宴——という大団円で終わる、というのが表向きのストーリー。

■ 華やかなフィナーレ、でも……?

このバレエのクライマックスといえば、終盤の「コラール」と呼ばれる厳かな部分から、一転してトランペットやホルン、ティンパニも総動員で盛り上がるフィナーレでしょう。皆さんも、1919年版や1945年版の組曲で一度は耳にしたことがあるかもしれません。いわゆる「堂々と勝利を告げる」ようなサウンドが炸裂し、最後は輝かしい和音で締めくくられます。

ところが、この「キラキラの大団円」の直前に注目してみると、どうも“普通に明るく終わらせる”だけでは済まされない、不穏な転調や和音が忍び込んでいるのです。


■ オクタトニックの不穏な響き

ストラヴィンスキーは、当時の師リムスキー=コルサコフの影響もあって、オクタトニック・スケール(半音と全音が交互に並ぶ8音音階)を非常に巧みに使う作曲家でした。民話や妖精譚に登場する「魔」の世界を描写するとき、このオクタトニックが絶妙に「怪しい雰囲気」「落ち着かない響き」をかもし出すのです。

  • オクタトニック例:C–Db–Eb–E–F#–G–A–Bb–(C)

  • 全音と半音が交互に続くため、伝統的な長調・短調の安定感がありません。

バレエ《火の鳥》では、カスチェイや火の鳥の場面にこの手法がしょっちゅう顔を出します。しかし、終盤で「ダイアトニック(いわゆる普通の長調)」へ落ち着いてハッピーエンド……と思いきや、最後の最後でまた妙にオクタトニック的な不協和音の残滓が漂う瞬間があるのです。聴き手によっては「ここ、ちょっとまだ魔力が残ってるんじゃ?」とゾクッとするかもしれません。


■ “皇女”はすべてを操っていたのか?

さて、本題。ストラヴィンスキーの《火の鳥》を単純に「王子が魔王を倒して囚われの姫を救う話」と見てしまうと、あの終曲の不穏なニュアンスが余ってしまうのです。そこで浮上するのが、「実は皇女こそが真の支配者であり、火の鳥と魔王と王子さえも、すべて彼女の掌の上で踊らされていたのでは?」という解釈。

なぜそんな“逆転”のアイデアが生まれるのか、ポイントは以下のとおりです。

  1. バレエの基本設定
    皇女たちは「囚われの身」とはいいつつも、ストラヴィンスキーの音楽の中で意外とエネルギッシュなダンスを披露するシーンがあります。パッと見はか弱い少女たち、しかし一部の場面では“火の鳥”にも似た不思議な活気が感じられる。

  2. 終曲前の不穏な和音
    一旦カスチェイが倒れて万事解決……と思わせてから、ほんの一瞬、不穏な和声が浮かび上がる。これは王女の踊りとオクタトニックな魔力の混じったような響きとも言われることがあり、「あれ、魔の力は完全に消えていないのでは?」と連想させます。

  3. ロシア民話的背景
    ロシアの昔話には、実は女性(あるいは魔女的存在)が裏で物語を操るケースも少なくありません。火の鳥と皇女がどこか共鳴関係をもっていて、王子はただ利用されただけ……というのは、あながち荒唐無稽ではないのです。

要するに、表向きは「王子の勝利と結婚」で幕が下りるものの、その祝祭感の底に「真の黒幕(?)は皇女だったんじゃないの」というアイロニーが潜んでいて。この解釈を念頭に聴くと、終曲のハデなファンファーレも、実は皇女による“一人勝ち”を祝う曲だったのかもしれません。


■ “ハッピーエンド”以上の多義性

この「実は皇女こそ真の支配者」という説に限らず、そもそもストラヴィンスキーのバレエ音楽は、伝統的な勧善懲悪の物語に“近代的な和声感”や“構築的リズム”を組み合わせることで、聴き手に単純な結論を与えない作品へと昇華している面があります。

  • バレエ・リュスの芸術性
    ディアギレフが目指したのは、ロシアの民話や伝統を西欧の観客に紹介するとともに、そこに前衛的要素を盛り込むことでした。《火の鳥》はその第一歩として大成功を収めます。

  • ストラヴィンスキーの“先鋭さ”
    続く《ペトルーシュカ》(1911年)や《春の祭典》(1913年)では、拍子感の解体やポリリズムなど、さらに革新的な手法を打ち出し、パリの観客を騒然とさせました。でも、その原点となる《火の鳥》にも、すでにオクタトニックや複雑な管弦楽法で「ただのロシア民話」に留まらない不気味さ・グロテスクさを含んでいます。

  • 終結部の“何か残る”感覚
    《火の鳥》を実際にバレエで見ると、最終的に王子と皇女が大きく手を広げて堂々とフィナーレ……といった演出が一般的かもしれません。しかし、もしこの物語のどこかに「皇女がすべてを操っていた疑惑」「魔力の残滓」があるとするなら、あの華やかなラストに一抹の暗い影が差すように思えてくるでしょう。


■ バレエの各版とフィナーレ

《火の鳥》にはいくつかバージョンが存在します。最初に書かれたのは、もちろんバレエ全曲版(1910年)。その後、ストラヴィンスキー自身がコンサート向けに組曲を作り、1919年版や1945年版などを発表しました。版によってオーケストレーションや演奏時間、楽曲の構成が異なりますが、華やかな終曲はどれも共通の聴きどころです。

  • 1910年バレエ全曲版
    舞台上のドラマをすべて音楽化しており、より長い。冒頭から最終場面まで「魔王カスチェイの怪奇な踊り」「子守歌」「終曲(フィナーレ)」と、ストラヴィンスキーならではの新旧混交の音楽が展開します。

  • 1919年版組曲
    現在コンサートで最もよく演奏されるバージョン。フィナーレだけでも十分な迫力ですが、ややコンパクトにまとまっていて使いやすいという理由もあり、こちらがポピュラーです。

  • 1945年版組曲
    さらに改訂・縮小されたもの。より簡潔にまとめられていますが、アンサンブルの細部や楽器指定が微妙に変わっています。

終曲の構成自体は大きく変わりませんが、版によって和声の処理や管弦楽の厚みが若干異なるため、「不穏な和音」の印象も聴き比べると微妙に感じ方が変わるかもしれません。興味がある方は、ぜひいろいろな録音やバレエ映像をチェックしてみてください。

個人的には、オーケストラの演奏においても、冒険の「過程」が感じ取れる全曲版が好きです。


■ “単なる童話”を超えるストラヴィンスキーの天才性

バレエ《火の鳥》というと、「鮮やかなオーケストレーション」「ロシア民話を題材にしたわかりやすいストーリー」という側面が強調されることが多いかもしれません。初期のストラヴィンスキー作品ということもあって、のちの《春の祭典》ほどの衝撃は薄いと思われがちです。

ところが、実際に耳を澄ませば、そこにはすでに20世紀音楽の扉を開く予兆が詰まっている。オクタトニックの活用、不意に生まれる不協和な響き、あえて「幸福な結末」を微妙ににごらせるアイロニー……これらは後のストラヴィンスキーの作風を暗示するだけでなく、観客に「おとぎ話の裏側」を想像させる力となっています。

「ハッピーエンドのはずなのに、なぜかすべてが腑に落ちない」。そこに、音楽史を塗り替えるストラヴィンスキーのモダニティが宿っている、と言っても過言ではないのです。


■ まとめ:真の“操り手”を想像しながら聴いてみる

  • 終曲直前の不穏な転調・和音
    → カスチェイが滅びた後でも、魔力の残り香か、それとも皇女が秘めた力か?

  • ロシア民話の“魔女”譚と女性の力
    → 表向きは囚われ、しかし実は自らの力で世界を翻弄する。

  • ストラヴィンスキーの和声・リズムの先進性
    → オクタトニックをはじめ、民話にモダン要素を混ぜ込む手腕が《火の鳥》の魅力を高めている。

  • 大団円の“祝祭”が実は多義的
    → 単なるハッピーエンドとして終わるだけではなく、後味に違和感を残すフィナーレが20世紀音楽の幕開けを予感させる。

もしこれから《火の鳥》を聴く方がいらっしゃったら、「皇女こそすべてを操る仕掛け人かも」という視点をちょっとだけ頭に入れてみてください。華やかなファンファーレの底で、ひそやかに蠢く怪しげな和音が、まるで「私こそ主役よ」と囁いているかもしれません。

この多義的なエンディングがあるからこそ、《火の鳥》は単なる美しいおとぎ話を超えて、聴くたびに新たな発見を与えてくれる奥深い作品へと昇華しているのだと思います。ストラヴィンスキーの天才性と、バレエ・リュスという歴史的背景を意識しながら、ぜひその不穏な響きを味わってみてください。


参考・関連項目

  • イーゴリ・ストラヴィンスキー
    ロシア生まれの作曲家。代表作に《火の鳥》《ペトルーシュカ》《春の祭典》等。20世紀音楽史を大きく前進させた革新的存在。

  • バレエ・リュス
    ディアギレフ率いるロシア・バレエ団。美術・音楽・舞踊を総合的に革新し、ヨーロッパ文化に多大な影響を与えた。

  • オクタトニック・スケール
    半音、全音が交互に並ぶ8音音階。不安定かつ神秘的な響きをもたらす。フランスの作曲家メシアンなども多用。

  • 組曲版(1919年版・1945年版)
    バレエ全曲から抜粋したコンサート向け編曲。演奏会でよく聴かれる版。

「実は王子もカスチェイも、皇女の手のひらの上で踊らされていただけ……?」そんな大胆な想像力を働かせながら、鮮烈なラストを聴いてみるのもオツかもしれません。あなた自身の耳で、この幻想的な物語の裏側に広がる“もう一つの真相”を楽しんでみてはいかがでしょうか?

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