#日本遺産 結局なんのためにある? 勝手に日本遺産学【2】
※文末に大事なお知らせがあります!
著者がチーフプロデューサーとして制作担当した番組『日本遺産』は2016年11月に放送がスタート。折しもその頃、アメリカ大統領選でのドナルド・トランプ氏の勝利に世界中が驚いていました。グローバリズムに反抗するように「America First」を叫んでいたトランプ氏。その彼が大統領になることで、日本にもきっと大きな影響があると、少々の不安が世間に漂っていたのではいでしょうか。
「アメリカ・ファーストなら、こっちはジャパン・ファーストだ。日本遺産は日本人が自らの足元(歴史)を見直すきっかけになるべきだ」
『日本遺産』番組制作担当の筆者は、一人勝手に意気込んでいたものです。そんな思い込み深いチーフのもと、はじまった番組ですが、11月13日に放送を開始すると、足かけ6年で合計61エピソード(うち2再放送)を制作放送しました。
エピソードごとに、とりあげた日本遺産の運営協議会がスポンサーとなってくださり、放送後には、その作品を協議会が広報動画として活用するという仕組みです。シンポジウムを含む各種広報イベントでの上映や図書館での試聴様々活用していただいていると聞いております。
もし、日本遺産の地域にお住まいの方がいらっしゃったら、県庁や市役所などの日本遺産担当部署に問い合わせれば見せてもらえるかもしれません。次に、番組の全ラインアップを掲載しますのでご興味があればぜひ。
さて、「Japan First!」などと意気込んで作った番組です。長く経済が低迷する中、明るい明日を模索するためには、自らの足跡をしっかりと振り返ることも必要と固く信じました。
しかしその信じ込みゆえに、番組内容は観光PRというよりも、歴史を啓蒙しようとする教育的要素の強いものになりました。いま考えると、もっとストレートな観光PR然としたものの方がよかったかもしれません。事実そうあるべきでは?との自問自答はしていましたが、「まずは足元を見つめ直すべき」という考えからどうしても外れることができませんでした。
そんな考えでいた私に2020年、ある種の共感をしめしてくださった日本遺産協議会がありました。東京都初の日本遺産、八王子市の「桑都物語」(略題)です。
認定後、番組制作の依頼を受けた最初の打合せの際、目の前の担当者の方はこう語りました。
「外向きの宣伝よりも、八王子の市民にみてもらいたいと思っている」
時はコロナ禍に見舞われたちょうど最初の年です。外向けの宣伝なんてしてもしょうがない、ということだったかもしれませんが、こちらとしてはその大方針を聞くと水を得た魚のような気分になったのを覚えています。
さて、その八王子の日本遺産です。
観光登山で知名度の高い高尾山と、八王子の町が、実は信仰を通して深く繋がっていたことをストーリーにまとめあげたものです。
高尾山は世界的に知られた観光地であり、信仰の山としての姿も髙尾山薬王院が健在でありますから番組で解説するのに映像づくりで困ることはまずありません。
しかし八王子の町には、かつて「桑都(そうと)」と呼ばれ、織物業で隆盛を極めた頃の姿は目に見られるほどはありません。巨大な織物市の舞台になった甲州道中最大の宿場、八王子宿の宿場風情も、第二次大戦の空襲でほぼ完全に失われています。これは難しいぞ、と、直接作品の演出をする役割でないにもかかわらず、筆者は担当ディレクターとともにロケハンもし、構成づくりに直接手をくだしました。(ディレクターにはかなり「いい迷惑」でしたが)
歴史のキーポイントは八王子の立地にあると定め、構成文化財でもなんでもない中央自動車道の八王子ジャンクションを、交通の要衝の象徴的存在と位置づけ、わざわざ空撮もしました。
そうしてできたのが2020年12月に90分スペシャルとして放送したオムニバスの冒頭を飾る「桑都物語本編」です。作品の仕上げにあたっては必ずスポンサーたる協議会にも正誤確認などのチェックをうけますが、のちに耳にしたところによると、「市民にみてもらいたい」とおっしゃったあの方は、ある種の感動の面持ちでご覧になってくれていたそうです。放送後、八王子市には、番組作品そのものと、その内容を短く凝縮したダイジェスト版を納めました。
それからはや3年。都心から離れているとは言え、自分も東京都民です。その後も何度か八王子に足を運び、市役所にご挨拶にもうかがっています。実はうかがうたびに、市民への日本遺産の浸透の度合いが高まっている印象があります。市内では、季節ごとに様々な市民イベントが開催されていますが、その告知ポスターなどには日本遺産のロゴと、「霊気満山」、「桑都」の文字がいつも見られるのです。
そこが織物の町であったこと、そして高尾山が信仰の山であることはそれまでも市民の常識ではありましたが、その歴史的事実を日本遺産認定という機会を利用して、八王子の新しいブランドイメージに昇華していると思えました。その活動に終わりはありませんが、日本遺産をよく利用して地域振興に結びつけている好例のひとつだと断言できるでしょう。(1市単独だからやりやすいというアドバンテージはあると思いますが)
八王子に古い街並みの姿はみられませんが、隆盛の頃に発展した文化は形を残しています。織物業の顧客をもてなす役割を担った「八王子芸妓」は今も現役で、日本遺産「桑都」でPRの旗頭として活躍しています。そして浄瑠璃が独特のスタイルに発展した「八王子車人形」に「説経浄瑠璃」もイベントとなれば八王子のシンボルのひとつとして数多く登場します。街並みは昔のようにはみえなくても今も同じように活動する当事者はいるのです。織物生産も工場は減ってはいるものの、個人向けの手織り教室を始めたり、伝統のブランド「多摩織」と現代のアーティストとのコラボ企画が登場したりと、日本遺産に認定されて以降、町の活気が増幅している印象をもっています。
では、八王子でなぜこのような変化がみられるのか?(少なくとも自分の目にそうみえるのか?)
それはやはり、
「まず市民に地域の歴史に誇りをもってもらう」
という意図が、まず先にたっていて、そしてそのためにできるあらゆることを着実に実行し続けているからではないかと筆者は信じて疑っていません。
もし違ってたら恐縮ですが、日本遺産に接していていつも思うのは、せっかく日本遺産に認定されても、そこに暮らす人々がそのことに理解を示さなければ、何にもならないということ。
歴史的観光地を巡るとき、地元の人が愛着をもって土地の歴史を語ってくれたら、それは立派なおもてなしになると思うのですね。(地元住人の気づかない魅力に外部の人間が気づくことはよくあったりしますが)
八王子の今後には注目です。コロナ禍に見舞われたことで、都内の移住先の人気の候補になっていたりします。
さて、この先を読むと「何だ、結局よいしょ記事か」と思われること必至ですが、心からの応援の気持ちをこめて、明日から八王子で開催される日本遺産フェスティバルのお知らせをします。そして最後の最後に最も大事なお知らせをしますので宜しくお願いします。
「日本遺産フェスティバル」というのは、もともと年に一回、日本遺産連盟という日本遺産の協議会の集まりが開かれる「日本遺産サミット」という全国会議が、各日本遺産のPRブースを設けたり、伝統芸能のステージイベントを併設するなどして近年、フェスティバルとして一般向けの公開イベントとして開催するようになったものです。これまで、高知市や、今治市、下関市などの日本遺産のある地方都市での開催でしたが、今年は八王子市が中心となって、堂々、首都東京での開催です。
2つのメイン会場はいずれも駅からすぐの立地。そのひとつ、JR八王子駅と京王八王子駅のちょうど中間に位置する「東京たま未来めっせ」には、全国104の日本遺産地域のPRブースが出展され、日本の歴史文化の多様さを目に魅せてくれることでしょう。さらに駅前の放射道路では交通を遮断しての路上イベントも付随して行われ、明日からの2日間、八王子は日本遺産一色に染まります。詳しくは公式ページにありますので。ご覧の上、ぜひ八王子に足をお運び下さい。東海道新幹線で東京においでの方は、新横浜でJR横浜線に乗り換える方が東京駅より近いです。
さて、筆者としては次が一番大事なお知らせです。
前述した番組『日本遺産』霊気満山と桑都物語編を、フェスティバル開催記念としてYoutubeにて期間限定公開します!
公開開始は本日、18時から。5日(日)24時まで、どなたでも何回でも試聴可能です。
以下をクリックしてぜひご視聴ください。拡散もお願いします!
紀行ドキュメンタリー
『日本遺産』 霊気満山 高尾山〜人々の祈りが紡ぐ桑都物語 編
※本日11月3日(金)18時までは非公開となっております