ルーク・トンプソンは、わたしの英雄
ラグビー日本代表として2007年から4大会連続で出場した日本ラグビー界の英雄、トンプソン・ルーク選手が現役最後の試合を終えました。
トンプソン・ルーク選手のラストゲーム
1981年4月生まれ、ニュージーランド出身。
現在はトップチャレンジリーグ近鉄ライナーズに所属。
ポジションはロック(LO)。
愛称、トモさん。
2020年1月19日、秩父宮ラグビー場には、異例の14,599人もの観客集結。トップチャレンジリーグの最終節、今季限りで引退を表明している一人のラガーマンの最終出場試合に集った。
トップチャレンジリーグ第7節
近鉄ライナーズ 74-0 栗田工業ウォーターガッシュ
4番を背負い、フル出場した‟トモさん“は、大観衆の歓声を一身に浴び、優勝を圧勝で決め、グラウンドを去った。
対戦相手の栗田工業も敬意
近鉄のロック、トンプソン・ルークが臨んだ現役最終戦、相手の栗田工業も日本ラグビーの功労者に敬意を表した。この日、栗田工業が身につけたのはグレーを基調としたセカンドジャージーだった。この試合は栗田工業がホームとなっていて、通例であれば紺を基調としたファーストジャージーを着用する。
しかし、試合に向けてのチーム間の話し合いで、栗田工業がセカンドジャージーを着用することに決定し、近鉄は紺のファーストジャージで、‟トモさん“の現役最終試合を行った。
一人のラガーマンのためにここまでするラガーマンたちのラガーマン精神に、頭が下がる。
代表総キャップ数71のレジェンド
近鉄時代の2007年に日本代表初キャップを飾り、総キャップ数は71。W杯には日本代表初の4大会連続出場を果たした。14試合の出場は最多で、最年長出場も果たした鉄人と言える。
家族との時間を大切にしたいからと一時は代表を引退したが、それでも代表への思いを捨てきれなかった。
「本当にやりたいなら、いつも応援している」
愛するネリッサ夫人の声で代表復帰を決意。昨年開催された自身4回目のW杯日本大会では、「記録より、チームが勝つことが大事」と愚直にタックルを繰り返し、日本を史上初の8強に導いた。
2015年のワールドカップでは、日本代表の精神的支柱だった。史上最大の番狂わせと言われた南アフリカ戦、逆転勝利につながった最後のスクラムの前に「歴史、変えるのは誰?」と鼓舞したのは、トンプソン選手だった。
NZ生まれの関西人
「生まれたところじゃないけど、心は関西人。東大阪、めっちゃ好き。いつもありがたい」。
ニュージーランド生まれの関西人。トンプソン選手は、「へたくそ」と言いながらも流暢な大阪弁を操る。
来日は2004年で、三洋電機で2季プレーして、近鉄に移籍。東大阪での生活は16年が過ぎた。
「最初は1年プラス1年の契約。僕のイメージでは2年間は日本でやって、ニュージーランド(NZ)に帰るつもりだった」
「日本に来て、最初はビックリした。東京はビルが多くて、とにかく人が多い。それに日本語がめっちゃ難しい。高1の2カ月間、日本語をちょっと勉強していたけれど、全然しゃべられなかった」
「人がむっちゃ優しい。みんな優しい。初めはすし、刺し身は食べなかった。三洋電機の晩ご飯でもみんなが差し身を食べている中で、焼いてもらっていた。でも今はむっちゃ大好き。お好み焼き、ラーメン…。日本は何でもおいしい」
「僕は日本人。違う顔だけど、日本語あまりうまくないけど、僕の心は日本にある。プレーはチームと国と家族のため」
そう言って、グランドに立ち続けてくれたトモさんは、日本を、大阪を愛してくれた。
今後は、母国で牧場経営の夢を持つ。
みんなが愛した「トモさん」、ラグビーを好きにさせてくれて、ありがとうございました。
(写真引用)
https://www.tv-tokyo.co.jp/sports/smp/articles/2019/10/006499_amp.html
https://www.kintetsu-g-hd.co.jp/liners/members/lo.html
https://maidonanews.jp/article/12856016
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200120-00010006-jsportsv-spo
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