ひとりだけに贈るnote
こちらの企画に参加します!
贈りnote。
誰におくろうか?と考えたとき、
真っ先に浮かんだのは、おなじ大学のAでした。
だいたい、こういうときは、夫か、子どもか、親か、といった家族がまずでてくるもんなんだろうなあと思いながらも、真っ先にでてきたのは、正直いってAでした。身近な人の、誰にもnoteを書いてることを言っていないわたしは、誰にも見られないnoteだからこそ書くのもいいかな、と思いました。
Aに読まれることは、まずないと思うけど。
★☆☆
Aへ
どうしよう。
いっしょに遊んだりしてた、4回生のころからもう30年近く経ってしまったよ。最後に会ったのは、あの子の結婚式の二次会だったと思うなあ。
あのときAは結婚指輪をしてて、わたしはやっぱりちょっと、ショックだったよ。知ってはいたけど、それでも「あー、そうなんだ…」みたいな感じにね。私は全然そのころカレシもできずにもがいていて、いまひとつ仕事も定まらなくて、なんかうつうつとしたころだったな。結局、わたしも30を過ぎて結婚できたよ。もう大きい娘も2人いるよ。誰かから聞いて知ってるかもしれないね。でも、それを聞いても「あーそうなんだー」くらいだろうな。
わたしが覚えてる限りでも3回くらいは、わたし、コクッたよねえ。なんだかんだとやさしい言い方ではあったけど、毎回振られたねえ。なんでなんで?こんなに仲いいのに?こんなに好きなのに?誰よりもAを助けてあげる自信があるのに?しょちゅう電話していろんな話聞いてたのに?なんでなんで?が頭でぐるぐる回ってたよ。
やっぱり、卒業前の、みんなで一緒に遊んだりしてるときにもっと押しとけばよかったな、って思いはずっとある。彼女はいるよ、ってことは知ってたけど、その彼女は地元にいる子だったし、いま、いちばん近くにいるのはアタシだよ、って思ってた。でも、まだ学生だったころはそこまで自分が好きになるとは思ってなかったからなあ。あきらめちゃってたです。
社会人になって何年目かに、どうしてもやっぱり好きだと思って、電話でまたコクッたとき、やっぱり断られたんだけど、そのとき一つ、聞いたよね。「アタシのこと、好きだったことってあった?」。そう聞いたら、「あった」って即答したね。びっくりしたけど、すごい嬉しかったのを覚えてます。今、そのときではなくても、まったく自分の勘違いではなかったんかな、と思って嬉しかった。でもそれって、出会ってすぐくらいのときかなあって言ってたから、やっぱり、彼女がいるからってすぐあきらめないで、もっとあの時に自分の気持ちに正直に押しとけばよかったんだなあって、いますごい後悔してる。
でも、そんないろいろと経験が乏しい若いころだと、なかなか彼女を奪うほど推す、とかができなかった自分もしょうがないな、とも思う。Aは、断る理由を、ひたすら「タイミングが合わんかっただけ」って言ってて、そのときわたしはそんなん納得できへんってすごい言った記憶があるけど、今となっては、本当にそうだなって思う。Aの言う通りだと思う。
タイミングが合わんかった、ということは、そういう意味で縁がなかったんかな、って納得はできるようになった。
納得はできるようにはなったけど、いまだに、ときどきやっぱり思い出すのもほんとなんだよ。
たとえば、「明日死ぬとしたら、何したい?」とかいう話ってよくあるやん。それとか、「いちばん会いたい人って誰?」とか。そういう話を聞く度に、でてくるのはどうしてもAになっちゃうねん。もういいやろ、って自分で思うけど。まあ、自分の思い込みなんかもしれん、とも思うけどね。
もう25年くらい会ってないから、随分Aもオッサンになってるだろうと思う。わたしもかなりオバちゃんになりました。Aは全然イケメン枠ではない(ごめん)から、今は普通のおっさんだろうか。できれば、清潔感のあるおっさんではいてほしいとなんとなく思う。もしかしたら、おなかバーンと出て、こんなにいまだに思い出すくらいなのが、アホらしいと思う風貌になってたらどうしよう。なんて、ほんとにどうでもいいことも思ったりする。
だけど、イケメン枠ではないけど、Aはすごい優しかったから、そういうところはやっぱり、変わってないんじゃないかなって思ったりもする。本質的なとこって20年、30年経っても変わらんと思うから。いつもニコニコしてて穏やかな優しさ、というのではないけど、絶対優しい。
4回生のころ、よく夜中にみんなでドライブに行ったりしたけど、夜中の山道で(どこ行ってたんだろね)なんか変な物音がして、男子たちが一斉に逃げ出したとき、女子たちは、え?置いてくのかい!と思ったんだけど、そのときAは後ろを向いて待ってくれたね。あのとき、ほんとに優しいってこういうことかなって思った。覚えてないよね。
どうなんだろう。実際、振られるばかりでつきあってないから、いいとこしか見てないのかもしれない。もしつきあってたら、また知らないAを知って、嫌になってかもしれない。でも、一回つきあってみたかったなあ。
何年かまえ、もちろん、結婚して子供もある程度大きくなってからだけど、一回、夢にAがでてきたよ。
でも、こっちは向いていなかった。Aの背中にわたしがそっと、もたれた夢でした。Aの顔は見えないのに、それはAだったよ。茶色の服を着た背中だった。そのとき、いままで感じたことがない、安ど感が夢のなかながらあって、それほど安堵感を持ったことに、自分がびっくりしたよ。なんでだろう。起きたとき、ぼんやりしちゃったよ。
元気にしてるのかなあ。
10ねんくらい前かな、同じ仲間の友達から、大阪でAに会ったよ、と聞いたこともあった。元気だったよ、と言ってた。ひとつひとつの出来事が数年単位だから、今度、またAの噂を聞くことがあったら、今度は60くらいになってるかもね。
実際は、会いたいような、会いたくないような、複雑な気持ちです。でも、死ぬまでに、と考えるとやっぱりちょっと会ってみたい。でも、どんな話をしたいかもわからない。元気だった?ん、元気だよ。それなりに頑張ってるよ、子どももいるよ、まあまあいい子だよ、みたいに話して、写真を見せて「おお、かわいいじゃん」とか、言われたい。そうでしょ、なんて、言ってわたしも嬉しそうに笑うかもしれない。
もし会えることを考えたら、やっぱり年いっておばちゃんになったな、とは思われたとしても、基本あんまり変わってないな、それなりにいいな、と思ってもらえる自分でいたいなと思う。
だから、日々、きちんと頑張っていきたいなって思う。
どっかで会えるだろうか。
元気でいてほしいなって思ってるよ。