主の御口のおしえ

次々に襲ってくる災害、また現在は世界的なコロナパンデミックによって、あまりにもあっけなく命を失う人々を目の当たりにしています。私たちのこの世の人生がいつ終わるかということは、主が定めておられます。ですから私たちは心を騒がせず、その定められた期間をどう生きるかということを考えていきましょう。
 
「生きる」ということは、喜びだけではなく苦しみも多くあります。詩篇119篇71-72節で詩篇の作者はこう語りました。「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。」
 
壊れた陶器を純金で装飾して修繕する、「金継ぎ(きんつぎ)」という日本の伝統技法があります。金継ぎは、ただ修繕して傷をなかったことにする技法ではなく、傷を歴史の一部として受け入れ、美しく輝かせます。「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。」と語る詩篇の作者は、苦しみを自分の歴史の一部として受け入れました。そして、「あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。」と、主の栄光の証人となっています。
 
また、金継ぎの技法で最も大切なのは、壊れた陶器を繋ぎ合わせるベースとなる部分です。そのベースとなる部分を綺麗に平らな状態にし、その上から純金でコーティングすることにより、傷であったはずの部分が美しく際立ちます。見えない部分がとても大切なのです。「主の御口のおしえ」、つまり主の御言葉は、私たちの大切な人生のベースとなって堅く立つのです。
 
アブラハムも、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデも、失敗したり苦しんだりしましたが、困難に見舞われた時こそ、ますます主に信頼し、賛美し、褒め称えました。主に祈り、主に賛美を捧げる時、彼らは主の臨在の中にありました。陶器師である主は、その心に応えてくださり、彼らの欠けをも見事に修復して輝かせ、幾倍にも祝福してくださいました。
 
ですから私たちも、失敗したり、苦しんでいる時こそ、ますます主に信頼し、祈り、賛美を捧げましょう。私たちの人生の苦難や欠けを歴史の一部として受け入れ、新たに輝かせ、主の栄光の証人となりましょう。
 
主に信頼する者は、必ず主が祝福してくださるということを信じ、「御口のおしえ」である御言葉を学び、口ずさみましょう!主は必ず、私たちがどう生きるべきかを導いてくださると信じます。
 
毛利佐保師(亀有教会副牧師)