『なんという幸せ、なんという楽しさ』

JGCF実行委員長 粟野めぐみ師

皆さん、いよいよJGCFコンサートが目の前に迫って来ましたね!
今回は130以上のクワイア、15団体が出演を決め、1000人ほどの出演者が準備してくださって、全国各地から集まって、コンサート本番を迎えられることに、すでにワクワクし、そして、感謝の思いでいっぱいです。
JGCFは2002年からクワイアの交流を目的として、スタートしましたが、こうして、22年間、続けていられることが奇跡ですし、スタート当時は10クワイア位の参加でしたから、こんなにゴスペルを歌っている人っているんだということに毎回驚かされています。しかも、日本全国で考えれば、JGCFに参加しているクワイアはほんの一部です。日本には一体いくつのゴスペルクワイアがあるのかと思い、その広がりを思うと、まさに神様ってすごい!としか言えなくなります。
私自身、ゴスペル音楽に魅せられて、渡米し、そこで経験したゴスペルクワイアの楽しさ、喜び、それが日本に帰ってからもとまることなく、いや、それ以上に楽しくなり、気づいたら今日を迎えている😆という感じですが、聖書に、まさに私の心を表しているみことばがあります!

「見よ。なんという幸せなんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになってともに生きることは。それは頭に注がれた貴い油のようだ。それはひげにアロンのひげに流れて衣の端にまで流れ滴る。それはまたヘルモンからシオンの山々に降りる露のようだ。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」” 詩篇 133篇1~3節

この詩はゴスペルの元祖的存在、イスラエルの王であったダビデが書いた詩です。彼は作詞作曲はもちろん、琴の名手であり、楽器も作ってしまうほどで、彼の音楽には癒しの力がありました。イスラエルでは年に3回の大きなお祭りが今でもありますが、この詩はそのお祭りに行った時の光景です。都であるエルサレムに大勢の人が集まってきています。それは神をほめたたえ、礼拝するためです。そこで、人々が1つになっている姿を見て、なんとも言えない幸せな気持ちになり、なんという楽しさだろうとダビデは素直な気持ちを語っています。

そうです!私がいつもイメージするJGCFはまさにこのことばの通りです。全国各地から色々なクワイアが集まり、歌いますが、コンサート全体を通して、1つになれることはなんという幸せ!みんなでゴスペルを歌えることの楽しさは他に比べられません。

その秘密は、油にあるようです。2篇にそれは頭に注がれた油のようだとありますから。油注がれたとは英語ではanointedで、神様に選ばれているという意味であり、祝福なのです。その油が山に降りる露のように、頭のてっぺんから衣の端まで滴るほど流れているのを想像してみてください。それはとこしえのいのちの祝福!祝福が流れて、自分が行くところ、祝福を流す者に変えられていくということなのです。集まって1つになって賛美するところに、この油注ぎが与えられるのです。ゴスペルを歌う私たちから、祝福がこんな風に流れていくなんて素晴らしいことですよね。

さあ、その時が来ました!!共に祝福を受け取りましょう!!そして、皆さんの家族に、クワイアに、地域に流れていきますように!特に、能登地震で被災した方々のために祈っていきましょう!!コンサート当日、クワイアを導いておられるディレクター、リーダー、ミュージシャン、音響さん、照明さん、スタッフ、出演クワイア、全ての方々に祝福のパワーを注いでください。それぞれの体調を守り、事故や怪我などありませんように!!お祈りありがとうございます!
God bless you!