神を賛美することの重要性(2)
「私の口にはいつも主への賛美がある」詩篇34篇1節
ヨブ記には雨の周期についての記述があります。
「神は水のしずくを引き上げ、それが神の霧となって雨をしたたらせる。
雨雲がこれを降らせ、人の上に豊かに注ぐ。
いったいだれが雲の広がりとその幕屋のとどろきを悟りえよう」(ヨブ記36章27~29節)
霊的なものも、この聖句に書かれていることと似ており、それはこのような働きをします。
すなわち私たちの賛美の蒸気が神に向かって上げられていくと、神の臨在の雲が形成され、祝福の雨が私たちに降り注ぎ始めるということです。
時々、私たちは「今日は祝福の少ない礼拝だった」と言いながら教会を出ることがあります。
しかし問題は祝福の少ない礼拝ではなく、祝福を受け取れない僕(しもべ)である私達なのです!
賛美において、まずはあなたが始める側で、そして神はそれに答える側なのです。
「120人の祭司たちも彼らとともにいて、ラッパを吹き鳴らしていた・・・ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、主を賛美しほめたたえた。それらは声を上げた。・・・そのとき、その宮、すなわち主の宮は雲で満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。」(第2歴代史5章12~14節)
その礼拝の時に、あなたも宮に居たかったでしょう!
ある男が、教会から家に帰る道すがらずっと「礼拝から何ひとつ得るものがなかった」と文句を言っていました。
一部始終を見ていた彼の息子は「たくさん捧げない者は、得るものも少ないってことじゃないの?」と彼に言いました。
ここに祝福について考えなければならない本質があります。
それは神を賛美するのは、単に神のためだけではなく、それがあなた自身のためでもあるということです。
The Word For You Todayより