『祈りつつ賛美する』

小岩栄光キリスト教会牧師 安間正道 師

真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。すると突然、大きな地震が起こり、牢獄の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部開いて、すべての囚人の鎖が外れてしまった。
使徒の働き16章25、26節[新改訳2017]

皆さんは、どんな時に祈りますか?どんな時に賛美しますか?
祈りと聞くと、願い事を叶えてほしい時や苦しい時に助けてほしいと望んで祈ることが想像されることが多いと思います。また、賛美とは神様を信じている人だけが感謝を捧げて歌うものだと思われているかもしれません。

今回の聖書の箇所は、パウロとシラスの二人がマケドニアという地に行った時のことです。そこで、占いの商売をしていた女性が二人に向かって「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています」と何日も叫んでいました。困り果てた二人は、女性から占いの霊を追い出します。その結果、商売ができなくなった主人たちは、パウロとシラスを長官に引き渡し捕えられ、牢獄に入れてしまいました。

パウロたちは悪いことはしていません。占い師の主人たちの怒りや憎しみによって囚われの身となりました。世の中は本当に不条理です。間違ったことをしていないにも関わらず責められたり、少しの失敗で二度と立ち上がられないほどに叩かれます。そのような時、多くの場合、失望し、恐怖に怯え、私たちの考えることは否定的なことばかりになるということはないでしょうか?パウロとシラスの状況を考えると、不平不満や愚痴を口にしてもおかしくない状況です。しかし、彼らがしたことは「祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた」ことです。これがまさに祈りと賛美の本質であり、祈り賛美する人の力だと思います。どんな状況にあったとしても、問題や自分の弱さに目を向けるのではなく神を見上げて祈る、私たち自身や世界が変わったとしても永遠に変わらない神様をほめたたえて賛美する、これが祈りであり、賛美です。

ブラックゴスペルは、奴隷制度の苦しみの中にいた黒人クリスチャンたちが祈りつつ賛美したことから始まりました。私たちのゴスペルのルーツ(根源)は祈りと賛美です。JGCFの本番はもちろん、日頃のゴスペルを歌うその場、その時が皆さんにとって神様への祈りと賛美の時です。神様は祈りを聞いてくださっています。賛美を喜んで受け入れてくださっています。そして、私たちを捕らえる鎖を打ち砕いて自由を与えてくださいます。隔ての壁や覆いを揺り動かして崩してくださいます。それは、私たちだけではなく、周りの人々にも影響を与えて自由と喜びを与えるほどのことです。

今日、神様を信じて祈り賛美するあなたの1日が、想像を超えた神の奇跡を見る1日となりますように!