JPT役員が語る!将来のJPTを担う人たちへ伝えたいこと ~新社長インタビュー第1回:設立の経緯と想い~
本企画では、2024年1月に一人目の役員として社長(当時)の成川さんへのインタビュー記事を掲載しました。
二人目は新社長の阿渡さんにご登場いただき、JPTへの熱い想いを語っていただきます!
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(執筆:JPTアンバサダー ぽり)
全4回でインタビュー内容をお届けします。
- 第1回:JPT参画への経緯(本記事)
- 第2回:副社長を経験して気づいたこと
- 第3回:JPTのさらなる発展と従業員のために
- 第4回:今後の展望と従業員への想い
ーまずはJPT設立時のことについて伺いたいです。阿渡さんはどんな想いでJPTヘの参画を決意されたのでしょうか?
2020年1月頃、東京パラリンピック活動がひと段落し、担当業務が労務から採用へ異動しました。そこで成川さんと一緒に仕事をするようになり、「特例子会社を設立したいが、力を貸してくれないか」と声をかけてもらいました。実は、昔、僕が社会保険労務士を勉強していた頃に、特例子会社設立を検討していたんです。僕自身、障害があることで就職活動時に色んなところから断られて苦労した経験があったので、「特例子会社だったら働きづらい障害者を雇用できるんじゃないか」と思い、日揮グループに提案しようと考えていました。ですが、その時は実現には至らず、数年後にこのような話があり再チャレンジしたいと思うようになりました。自分自身が障害当事者として社会に対して超不満だったこともあり、これは社会を変えるチャンスかも!という直感で参画しました。
ー「社会に対して超不満だらけだった」とのことですが、何かきっかけがあったのでしょうか?
大きく2つあって、ひとつ目は社会に出ていく際に障害者の見方がすごく低くて冷たい、と感じた経験があります。
僕が高校生の時にアルバイトをしようとしたのですが、40~50社の面接を受けても全然受からなかったんです。それまでずっと健常者と同じように過ごしてきたので、もちろんアルバイトもできると思っていました。でも、いざ面接を受けると「君は手がないからできないよね」と言われ続けて。初めて社会に出ていくタイミングだったので、見た目で判断されたことがすごくショックでした。ただ、結果的に2社でアルバイトをすることができたのですが、面接官には「1か月間無給でいいから僕を雇ってください」と伝え、必死にできることを証明して採用にこぎつけることができました。障害を持っていてもできることを証明したかったんです。
もう1つは日揮に入社してからの経験です。せっかく日揮で働くので自分も海外でプラントを作る仕事をやりたいと当時の上司に伝えたら、「君には海外での現場の仕事はできない」と言われたんです。その理由は「障害者が海外現場で働くという前例がないから」と。他人が勝手に障害者の可能性を決めつけるんですよね。そういう健常者の障害者に対する思い込みに対しても、ものすごい不満を持っていました。
ーご自身の理不尽な経験がJPT参画に繋がったのですね。成川さんとはどんな会社を作りたいと話されていましたか?
成川さんとは当時障害者雇用の仕事を一緒に担当していたのですが、1年間で一人も雇用できなかったんです。最終面接で不採用になったり、採用になっても契約社員だからお断りされたりと、なかなか採用に結びつきませんでした。なんでだろうと二人で考えた時に、本社の手厚いセーフティネットがネックになっているのではないかと考えました。そこで、JPTを立ち上げる際は「本社と同じ制度にはしたくない」「全く新しい会社を作ろう!」という話をしていました。
また、精神・発達障害の方は一般的に他の企業だと雇用しにくいイメージが定着している中で、そういった方を雇えるようになると誰でも雇えるようになる。そのためにどういう制度を作ったらよいのか、ということを成川さんと考えていました。そんな時に、「精神・発達障害×IT」という分野で優秀な人たちがいることを知り、「これならいけるかもしれない」と思い、JPTがスタートしました。
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阿渡さんは過去の苦いご経験から、ご自身の考えや想いを発信できる場をずっと探されていたそうです。そのような中で、阿渡さんにとっては満を持してJPTが設立されることになりました。
阿渡さんは副社長としてどんな役割を担い、どんなチャレンジをされていったのでしょうか?次回お伺いしていきます!
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