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平等と公平について本気出して考えてみた

こんにちは、最近登場頻度多めの長尾です。
2024年4月のKOMで従業員に向けて自分なりに解釈してお話しした内容を、ここで改めて整理して記録しておきたく、記事を書きます。
※"この考えが正しい"という意図はなく、"今はこう考えている"といったニュアンスです。これからも様々な対話を通して考えをアップデート・アップグレードしたいと思います。

記事:長尾


平等と公平の図について

平等(Equality)と公平(Equity)って何が違うの?という話の時、次の図がよく例として出されます。

https://interactioninstitute.org/illustrating-equality-vs-equity/  より引用

このイラストでは平等や公平が次のように描かれています。

平等:全員に箱を1つずつ
公平:目線が合うように箱の数を調整する

平等的アプローチでは最も背の低い子供は野球を観れないですが、公平的なアプローチでは全員が野球を観る事ができています。



うん。わかるぞ…!! このケースでは公平の方が僕もいいと思う!
思う…!


でも、なんだか残るモヤモヤ感

※繰り返しになりますが、ここで述べる事は僕の今現在の感覚です。

私は「障害」という観点では自身にほぼ縁のない暮らしをしてきた、カテゴリーで言う所の「健常者」に該当します。そしてそんな自分ですが、「障害」は個人に属するのではなく社会の仕組みによって相対的に浮かび上がるものだ、という感覚もわりと持っているつもりです。

それでも何故モヤモヤするのか、、それは自分も自分なりの努力を続けて今に至ると自負しているからなのではないかと考えています。(くどいですが、障害を持っている人が努力不足という意味では全くありません。)

自分の努力が単純に「健常」カテゴリーに分類され、公平的アプローチの際に自分に配当がないっていう所。なんだかモヤるんだよなぁ~。

先ほどの野球のイラスト例だったら「心狭いなお前」って自分でも思います。
…でも、複雑な現実問題になればなるほど、このモヤモヤ感が顔を出す感じ。正直ちょっぴりあります。

JPTで考えたい公平ってなんだろう

だが幸いにして、私はJPTの役員という立場。このモヤモヤに仮説を立てて実践できる環境があります。


話はさかのぼって、2023年の年末。前社長の成川さん、現社長の阿渡さん、長尾の三人で先ほどの図を見ながら話をしていました。

この時成川さんが放った「JPTなら"全員がより良い"を考えるよね。」という発言。
この言葉に衝撃を受けました。

そうか!!!

私はミーティング後おもむろにノートに絵を描いてみました。


JPTの公平モデル(=みんなより良い

先ほどの野球の例で行くと、「透明なフェンスにすること」こそ目指すべきなのではないだろうか、と思考が一歩先に進みました。
だって、そもそも立ったまま野球見続けるのしんどいですもん。座ってビール飲みながら観たいよ、野球は。。

この話を整理すると次の2つの仮説にたどり着きます

  • そもそも野球が観れてた人(カテゴリ:健常者)に「より良い」の発想は生まれづらい

  • 資源の分配ベースで話をすると「より良い」発想はうまれづらい

これ、僕の中では結構衝撃的な仮説でして、何が言いたいかというと..

  • 「より良い」の提案は「不」をもっている人の方が出しやすい

  • 「より良い」発想は新たなテクノロジーから現れる

という可能性に繋がります。障害を感じるからこそ新しいアイデアを出せて、テクノロジーを活かすことでそれが実現できるのではないか。


これできる可能性があるの、うちの会社じゃん!


もしこの仮説がある程度正しいと示された暁には、障害を抱えている人を雇用する動機は「法定雇用率」ではなくなり、多様性という言葉の解像度がより高い次元で受け止められるようになる気もします。

JPTが世の中に示すべき価値って、ここにあるような気がするな..!!

JPTの事例と世の中の事例

最後に、上記の仮説を実践している事例を紹介しこの記事をまとめていきます。

JPTのフルフレックス・フルリモート

JPTはいつ・どこででも働ける環境です。この素晴らしさ、私はコロナ禍という未曽有の事態が起こるまで気づきませんでした。(=健常者に「通勤しなくても良い」の発想は生まれづらい

JPTにはどうしても通勤電車や周囲の騒音に苦しみを感じる従業員がいます。そうした方でも働きやすいよう設計したフルリモート・フルフレックス(=通信技術やクラウドサービス等のテクノロジーの上で成立)は障害当事者だけでなく、育児・介護を行っている方も、世界を旅したい人も、はたまた自分のような出社が普通だった人も、みんなにとって良い選択肢となっている気がします。

東京ドームでの自由視点映像

野球の例えで記事を始めたので、野球で締めましょう。野球ファンであれば、最近の日テレ系での野球中継時に「自由視点映像」が流れる事をご存じのはずです。

このテクノロジーの登場によって、バッターボックスや、内野手視点で野球観戦をすることも可能になるはずです。家にいながらヘッドマウントディスプレイで好きな位置で野球が観れたら… 背が高い低い、野球場にいけるいけないに限らずみんなにとって良い選択肢になりそうですよね。

今時点では解像度などの課題もあるかもしれませんが、技術の進歩によって克服されていくと思います。

“世界初の試み 360度から撮影「自由視点」で見る野球中継 SNS「ゲーム画面みたい」” https://news.ntv.co.jp/category/sports/aaf8eaf23028481e9b7c845b0bc22454

最後に

柄にもなく難しいテーマに手を出したわけですが、最終的に何が言いたかったかというと「JPTだからこそ世の中に出せる価値がある」という事。もっと攻めた言い方をすると「今現在においてはJPTじゃないと気づけない価値がある」という事に、平等と公平の話からたどり着く事ができました。

僕たちが様々なアウトプットでこの仮説を実証していき、いつの日か障害の有無に関わらず「より良い」を皆で模索できる社会になっていけばと思います。

「なぁちびっ子よ。君もおっちゃんも寛ぎながら野球を観れるような素敵なアイデア、一緒に考えてみないかい?」

おしまい


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