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【表裏一体】「愛しい」と「鬱陶しい」は常に隣り合わせの気持ちだと気付く

Change Talk,Change Life.
"喋りを変えれば生き方も変わる!"

「蝶想喋楽(ちょうそうちょうらく)」
「喋りは生き方が9割」
「Free Talk Entertainment
~自分という楽器で言葉を奏でよう!」

22世紀に「広辞苑」から"人見知り"をなくしたい
誰もが自分を解放し喋りを楽しむ社会を実現
喋りに対する意識を変えて人生を好転させる
一般社団法人日本フリートーク協会代表理事
フリートークアドバイザーの“TURKEY”です

こんにちは!
僕のブログに来ていただき
本当にありがとうございます!

今日はある女性のお話を聞いて来ました
その方の生い立ちをお聞きしていて
今日が父の日なのかは分かりませんが
お父さまとの思い出をお話されてました

学生の頃から自分に干渉して来られ
厳しく接していらっしゃったお父さま
夜遅く帰る時もその方が帰宅されるまで
ずっと起きて待っていらっしゃったそうです

それがもう鬱陶しくて仕方がなかった
でも不思議と憎いなどとは思わなかったと
冗談も交えながら今は亡きお父さまのこと
懐かしく振り返ってお話されてました

「愛しい」

そして

「鬱陶しい」

改めてこのふたつの言葉
良く噛み締めて考えてみました

鬱陶しいけど憎いとは思わない
むしろ心配してくれているという
父親の「愛情」は感じていたそうです
そこで気付いた事がありました

このふたつの言葉は隣合っている

「愛しい」
「鬱陶しい」

ラップのフレーズになりそうな
「しい」で韻を踏んだ言葉です

まずは「愛しい」は「いとしい」
そして「鬱陶しい」は「うっとうしい」
関西では「うっとしい」とも言いまして
四文字目の「う」を抜いて表現をします

なので

「いとしい」
「うっとしい」

 
僕が言うことばの「隣り合わせ」
敏感な方ならもう分かりますよね?

そうなんです

五十音順の「あ行」のひらがな
「あいうえお」の並びになっています
「い」と「う」は連続して隣り合わせ
もはやワンセットと言っていい近い言葉

だからこそ

常に隣りに「いとしい」があるからこそ
「うっとしい」と思えど「憎め」なかった
うっとしいながらも愛情を感じていた
つまり愛しい気持ちの裏返しなのです

そう考えると「鬱陶しい」という言葉
ひょっとしたら「愛情」ではないのか?
ケースバイケースではあるものの
愛しいが少し過ぎると鬱陶しくなります

気持ちのアウトプットとしては
「ほどほど」のバランスが大切
反対に気持ちを受け取る方としては
裏側の気持ちも読み取る必要もあります

「鬱陶しい」のはなぜなのか?
つまり「愛情の裏返し」と気づく

今日のその方のお話を聞いていて
気持ちの裏側を汲み取ることなく
短絡的な感情だけを受け取るのは
少し損をする時もあるのだと気付いた

五十音順の隣どうしのひらがな
だからこそ「表裏一体」なんです
誰かの気持ちを受け取るとき
この話をヒントにしてくださいね

今日も読んでいただき
本当にありがとうございます
また明日!

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