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ニューヨーク・タイムズ・カンパニー(The New York Times Company) 企業研究(オーナー家編)


ニューヨーク・タイムズ・カンパニー(The New York Times Company、以下NYT Co.)のコーポレートガバナンスを調査するシリーズ。第2弾は創業家の研究だ。

ニューヨーク・タイムズは1967年にニューヨーク証券取引所に上場し、ティッカーシンボル「NYT」で取引が開始された。同社は、公開市場で取引されるクラスA株式と、非公開のクラスB株式の2種類の株式を発行している。クラスB株式は、1896年にニューヨーク・タイムズを買収したアドルフ・オックスの子孫であるサルツバーガー家が保有しており、特別な議決権を伴うため、会社の意思決定において重要な役割を担っている。

初代 アドルフ・サイモン・オックス

ニューヨーク・タイムズ発行人 1896–1935年(George F. Spinneyより買収)

アドルフ・サイモン・オックス(Adolph Simon Ochs)は、1858年3月12日にアメリカ合衆国オハイオ州シンシナティで生まれた新聞発行人だ。ドイツ系ユダヤ人移民の両親のもとに育ち、幼い頃から新聞業に関わり始めた。彼は19歳という若さで初めて新聞社の経営を任され、その後、ニューヨーク・タイムズを買収することでアメリカのジャーナリズムの発展に多大な影響を与えた。

1896年、オックスは財務的に困窮していたニューヨーク・タイムズを買収した。当時、ニューヨーク・タイムズの発行部数は約9,000部であり、多くの競合紙の影響を受けて苦境に立たされていた。しかし、オックスは「印刷に値するニュースは全て掲載する(All the News That's Fit to Print)」というモットーを掲げ、客観的なジャーナリズムを重視する編集方針を導入した。さらに、価格を3セントから1セントに下げたことで読者層を拡大し、発行部数を劇的に増加させた。

彼のリーダーシップのもと、ニューヨーク・タイムズはアメリカ国内外での報道力を強化し、高品質なニュースと公平性を基盤にしてジャーナリズムの模範的存在となりた。タイムズスクエアの名称変更や年越しイベントの導入など、ニューヨークの文化にも深く関与した。

アドルフ・オックスは、幼少期にテネシー州ノックスビルに移住し、公立学校に通いながら新聞配達をした。その後、『ノックスビル・クロニクル』紙で雑用係として働き始め、19歳の時に家族から借りた資金で『チャタヌーガ・タイムズ』を買収する。この新聞の成功により、オックスは若き経営者としての地位を確立した。

1896年には、ニューヨーク・タイムズをわずか7万5千ドルで買収した。彼の経営手腕により、この新聞は読者数を急増させ、1920年代には発行部数が78万人に達した。彼の時代に確立された編集方針と経営モデルは、現在のニューヨーク・タイムズにも継承されている。

2代目 アーサー・ヘイズ・サルツバーガー

ニューヨーク・タイムズ発行人 1935–1961年

アーサー・ヘイズ・サルツバーガーは、1917年にニューヨーク・タイムズの創業者アドルフ・オックスの娘、イフィゲネ・ベルタ・オックスと結婚し、その縁でニューヨーク・タイムズに関与を深めていきました。1918年にはニューヨーク・タイムズ・カンパニーに入社し、1935年に義父アドルフ・オックスが亡くなった後、その後任として発行人に就任しました。

発行人としての期間中、ニューヨーク・タイムズを全国的な影響力を持つ新聞へと発展させました。背景報道や特集記事の導入、写真伝送技術の採用、そして海外での印刷体制の確立など、新聞の編集・制作面での革新を積極的に推進しました。また、彼の指揮下でニューヨーク・タイムズはパリとロサンゼルスで遠隔操作による印刷体制を整え、広範な購読者層を獲得しました。

3代目 オービル・ユージン・ドライフース

ニューヨーク・タイムズ発行人 1961–1963年

ドライフースがニューヨーク・タイムズに関与し始めたのは、1941年にアーサー・ヘイズ・サルツバーガーの娘であるマリアンと結婚したことが契機だ。1942年にタイムズ社に入社し、将来の発行人候補として訓練を受けた。その後、会社内で昇進を重ね、1957年には社長、1961年には発行人に就任した。彼の時代には、タイムズ西部版の創刊や、社説部門の強化が進められた。特に注目すべきは、彼が発行人を務めていた時期に発生したニューヨークの新聞業界での大規模なストライキだ。このストライキは114日間続き、タイムズ社史上最も長いものだった。ドライフースはこの困難な状況を乗り越えるために尽力したが、これが彼の健康を著しく悪化させる原因となりた。1963年5月25日、心不全により50歳で亡くなりた。

4代目 アーサー・オックス・サルツバーガー・シニア

ニューヨーク・タイムズ発行人 1963–1992年

アーサー・オックス・サルツバーガー・シニア(Arthur Ochs Sulzberger Sr.)、通称「パンチ・サルツバーガー(Punch Sulzberger)」は、1926年2月5日にニューヨーク市で生まれた。1963年、パンチ・サルツバーガーは「ニューヨーク・タイムズ」の発行人に就任した。彼の就任は、タイムズ家が所有する新聞の歴史の中でも重要な転換点となりた。彼は、同紙をジャーナリズムの新たな高みに押し上げることに注力した。特にペンタゴン・ペーパーズの公開を通じて報道の自由を守る決断は、彼のリーダーシップの象徴的な成果とされている。1973年にはニューヨーク・タイムズ・カンパニーの取締役会長に就任し、さらに1992年には息子アーサー・オックス・サルツバーガー・ジュニアに発行人の職を譲るまで、約30年間にわたり新聞業界を牽引した。彼の在任中、ニューヨーク・タイムズはピューリッツァー賞を複数回受賞し、アメリカジャーナリズムの象徴的な存在となった。

5代目 アーサー・オックス・サルツバーガー・ジュニア

ニューヨーク・タイムズ発行人 1992-2017年
ニューヨーク・タイムズ・カンパニー会長 1997-2020年

サルツバーガー・ジュニアは1978年にニューヨーク・タイムズ・カンパニーに入社し、記者としてキャリアをスタートさせた。その後、編集部や経営企画部門など、複数の部門を経験し、会社運営の全体像を学びた。1992年、父であるアーサー・オックス・“パンチ”・サルツバーガーから発行人の役職を引き継ぎた。発行人としての彼の功績の一つは、デジタルメディアへの移行を推進した点だ。インターネット時代の到来に伴い、ニューヨーク・タイムズは印刷中心のモデルからオンラインへのシフトを加速した。サルツバーガー・ジュニアは、読者の行動がデジタルに移行する中、定額制のデジタル購読モデルを導入し、新聞業界における先駆者的な役割を果たした。この変革により、ニューヨーク・タイムズは収益の多様化を達成し、持続可能な成長基盤を築くことができた。また、1997年にはニューヨーク・タイムズ・カンパニーの会長に就任し、経営の戦略的な方向性を指揮した。彼のリーダーシップのもとで、同社は報道の質を維持しながらも、グローバルなブランド展開に注力した。

6代目 A・G・サルツバーガー

ニューヨーク・タイムズ発行人 2017年- 現職
ニューヨーク・タイムズ・カンパニー会長 2021年-現職

A・G・サルツバーガーはブラウン大学で政治学を専攻し、2004年に卒業後、地方紙『プロビデンス・ジャーナル』や『オレゴニアン』で記者として活動しました。その後ニューヨーク・タイムズに入社し、地方自治体や公共問題をテーマに取材を続けました。

2013年にはデジタル時代におけるニューヨーク・タイムズの戦略を再評価するチームに抜擢され、同紙の将来像を形作る中心人物となりました。発行人としての最初の数年間でデジタル購読者を増加させ、紙媒体からデジタル媒体への移行を成功に導きました。地方報道の衰退への懸念を表明しつつ、地方ジャーナリズムの再構築に向けた提言も行っています。

ニューヨーク・タイムズ発行人の歴史

同紙は、オックス=サルツバーガー家の経営の下で時代ごとの課題に対応し、報道機関としての価値と影響力を向上させてきた。本稿では、初代から6代目までの発行人の就任期間と主な業績について論じる。

初代発行人:アドルフ・サイモン・オックス
アドルフ・サイモン・オックスは、ニューヨーク・タイムズの礎を築いた初代発行人である。彼は1896年、経営難に陥っていた同紙を買収し、抜本的な改革を実施した。オックスは客観的ジャーナリズムを重視し、"All the News That's Fit to Print"というモットーを掲げた。このスローガンは、報道内容の公正性と高い編集基準を象徴し、ニューヨーク・タイムズのブランドを確立するものとなった。彼の改革により、同紙の発行部数は飛躍的に増加し、全米を代表する新聞に成長した。

2代目発行人:アーサー・ヘイズ・サルツバーガー
アーサー・ヘイズ・サルツバーガーは、1935年に義父であるオックスの跡を継いで発行人に就任した。彼の在任期間中、ニューヨーク・タイムズは背景報道や特集記事を拡充し、報道内容を多角化した。また、海外展開を推進し、ファクシミリ通信の導入により国際的な報道体制の基盤を確立した。これにより、同紙は国内外での影響力をさらに高め、質の高いジャーナリズムの代名詞としての地位を確立した。

3代目発行人:オービル・ユージン・ドライフース
オービル・ユージン・ドライフースは、1961年に発行人に就任したが、その在任期間はわずか2年であった。彼は西部版の創刊や労働争議への対応など、短期間ながら重要な課題に取り組んだ。しかし、長期化したストライキによるストレスが彼の健康に悪影響を及ぼし、1963年に50歳で急逝した。

4代目発行人:アーサー・オックス・サルツバーガー・シニア
通称パンチ・サルツバーガーで知られるアーサー・オックス・サルツバーガー・シニアは、1963年から1992年まで発行人を務めた。彼はペンタゴン・ペーパーズの報道を支持し、報道の自由を守る姿勢を示した。また、印刷拠点の拡充やカラー印刷の導入により、新聞の生産効率と視覚的魅力を向上させた。彼のリーダーシップは、ニューヨーク・タイムズの近代化に大きく貢献した。

5代目発行人:アーサー・オックス・サルツバーガー・ジュニア
アーサー・オックス・サルツバーガー・ジュニアは、1992年に父から発行人の職を引き継ぎ、デジタル時代への移行を主導した。彼はウェブ版の拡充と購読収益を中心とした経営モデルを構築し、新聞業界が直面する課題への対応において先導的な役割を果たした。この取り組みにより、ニューヨーク・タイムズはデジタル収益を重要な柱とするメディア企業へと変貌を遂げた。

6代目発行人:A・G・サルツバーガー
A・G・サルツバーガーは、2017年に発行人に就任した。彼は「タイムズ・イノベーション・レポート」を主執筆し、デジタル化の進展と購読者重視の経営戦略を推進している。また、地方報道の危機に対する積極的な提言を行い、現代のジャーナリズムが直面する新たな課題に取り組んでいる。

ニューヨーク・タイムズは、各発行人が時代の変化に応じた革新を行うことで、報道機関としての独立性と影響力を維持してきた。初代オックスの改革精神は、現在の6代目サルツバーガーに至るまで脈々と受け継がれている。同紙は、今後も報道の自由を基盤に挑戦を続けるであろう。発行人の業績を振り返ることにより、ニューヨーク・タイムズがいかにしてその地位を築き上げたかを改めて理解できる。

議決権のある株式はすべて、1997年に設立されたオクス・サルツバーガー・ファミリー・トラストが保有しており、アドルフ・オクスの唯一の娘の子孫数名が管理している。このトラストは、「お金よりも大切なものがある」という信念のもとに運営されている。SECへの提出書類によると、このトラストの「第一の目的」は、タイムズ紙が「独立した新聞として、一切の恐れを抱かず、いかなる裏の影響力も排除し、公共の福祉に無私無欲で献身する」ことを継続させることである。

https://time.com/5696968/a-g-sulzberger-new-york-times/
ニューヨーク・タイムズ発行人の歴代

1967年、ニューヨーク証券取引所に"NYT"のティッカーシンボルで上場した。公開株のAクラスと非公開のBクラスの2種類の株式を発行し、後者は、1896年に『ニューヨーク・タイムズ紙』を購入したアドルフ・オックスの子孫(サルツバーガー家)が保有している。非関連会社が保有するクラスB普通株式は 36,758株。クラスB株式に関しては、取引される「活発な市場」が存在しない。2024年2月14日時点の発行済株式数クラスA普通株式合計で 163,318,468株。クラスB普通株式合計で 780,724株発行されている。2024年2月14日現在の記録上の株主数はクラスA普通株式4,427、クラスB普通株式25である。

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おぜき
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