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【短編】『静かな部屋』 第二話
翌朝、莉子は通常より早く市役所に出勤していた。デスクに置かれた加藤シズエの生活保護ケースファイルを開く。
三年前から生活保護を受給開始。夫との死別後、パートの収入だけでは生活が立ち行かなくなったという。預貯金はほとんどなく、年金収入も最低限。標準的な保護開始のケースだった。
「おはよう、石丸さん。昨日の報告書は?」
村上係長が声をかけてきた。
「はい、今まとめています」
莉子はパソコンに向かい、報告書の下書きを開く。
状況説明、現場写真、そして気になった点。莉子は昨日見たものを一つ一つ丁寧に記述していく。新品のエアコン。不自然なまでに整理された部屋。未開封の封筒。
「あの、係長」
「なんですか?」
「加藤さん、先週の火曜日に来られた時、何か変わったことはありましたか?」
村上は少し考え込むような表情を見せた。
「そういえば...」
その時、福祉課の入り口で小さな騒ぎが起きた。
「どうして教えてくれなかったんですか!」
声の主は60代くらいの女性。加藤さんと同じ団地に住む佐々木ミチコだった。彼女も生活保護受給者の一人で、加藤さんとは顔見知りのはずだ。
「佐々木さん、落ち着いて」
当番の職員が対応しようとする。
「加藤さんが亡くなったって、今朝、回覧板で知りました。私たち、同じ階に住んでるのに...」
佐々木の声が震えている。
莉子は立ち上がり、佐々木の元へ向かった。
「佐々木さん、私が担当の石丸です。少しお話を」
応接室に案内すると、佐々木は少し落ち着きを取り戻した。
「加藤さんとは、お付き合いがあったんですか?」
「ええ、同じ階だから。時々お茶を飲んだり...でも、最近は顔を合わせても、急いで部屋に戻るようになって」
「いつ頃からですか?」
「そうね...エアコンを付け替えた後からかしら」
佐々木は記憶を辿るように言った。
「エアコンの工事...それは加藤さんが依頼したんですか?」
「いいえ。業者が来てたわ。確か...市の方で手配したって」
莉子は思わず眉をひそめた。市営住宅の設備交換なら、当然、建築住宅課を通すはずだ。しかし、加藤さんの支援記録には、エアコン設置の申請は載っていない。
「佐々木さん、その業者の方、覚えていますか?」
「作業着を着た若い人と年配の人。社名は...申し訳ありません、よく覚えてなくて」
佐々木との面談を終えた後、莉子は建築住宅課に電話をかけた。しかし、返ってきた答えは意外なものだった。
「加藤シズエさん宅のエアコン工事?そんな申請、受けていませんが」
莉子の目は、机の上に広げられた加藤さんのメモ帳に向けられた。最後のページに記された日付—それは、エアコンが設置された日だった。
(続く)