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【短編】『静かな部屋』 最終話

「徳島県警の者ですが...」
電話の向こうの声は、疲れたように響いた。

「昨日、徳島市内のアパートで、ある業者が逮捕されました。市営住宅の建て替えに絡んで、高齢者を対象にした詐欺まがいの案件です」

莉子は息を呑む。

「被害者リストの中に、松山市に転居された方が何名かいまして。その中のお一人が、西条市から移られた...」

通話を終えた莉子の前に、一枚の図が広がっていた。付箋やメモで繋いだ関係図。そこには、これまでのピースが並んでいる。

市営住宅の建て替え計画。立ち退きを迫られる高齢者たち。そして彼らの前に現れる「便利屋」を名乗る業者。新品のエアコンを無料で設置し、親切に転居を手伝う。行き先は必ず市外。

空き部屋から取り外した古いエアコンは、別の街で新品として取り付けられる。その繰り返し。

「でも、なぜ加藤さんは...」

莉子は加藤さんの最後のメモ帳を開く。日付、時間、電話番号。そして最後のページをめくると、そこには小さな文字で一行。

『これが最後の仕事です』

「まさか...」

佐々木さんの証言。加藤さんの変化。松山への転居相談。全てが繋がった。

加藤シズエは、この仕組みの一部を知ってしまった。そして、おそらく選択を迫られた。共犯者となるか、それとも—。

莉子は再び加藤さんの部屋を訪れた。夕暮れ時、西日が室内を赤く染めている。机の上には、まだ未開封の封筒。差出人は西条市役所。

封を切ると、一枚の通知書。市営住宅建て替えに伴う、住民説明会の案内だった。日付は、加藤さんが亡くなる前日。

「加藤さん...あなたは、きっと」

莉子の目に、夕陽が反射して光る。誰かの弱みに付け込み、利用しようとする者たち。そして、最後の良心で選択をした人。

翌日の朝刊には、小さな記事が載った。
『市営住宅の建て替えに絡む詐欺事件、徳島で逮捕者』

莉子は、加藤さんのファイルに最後の記録を書き加えた。

「生活保護受給者の方々は、社会の中で最も弱い立場に置かれがちです。しかし、それは決して、その人の人生や尊厳の価値を減じるものではありません。私たちケースワーカーには、その方々の生活と尊厳を守る責任があります」

窓の外では、新しい夏の朝が始まっていた。

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