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試論 土師氏・菅原氏の産土神・爲志神社

式内小社・爲志(イシ)神社 祭神 伊古比都幣命 鎮座地 葛城市林堂 小社でありながら延喜式において名神大社・葛城坐火雷神社をも凌ぐ忍海郡における筆頭社。
祭神・伊古比都幣命 は記紀などの神統譜に全く名を表さない謎の神様です。そんな神様を祀る神社が、名神大社を抑えて筆頭に躍り出るなんて考えられないことですが、江戸時代半ばの書物・「神名帳考証」では、これを「伊毘志都幣命」ではないか?としています。 伊毘志都幣命とは、土師氏の始祖・野見宿禰の先祖・天穂日命の子供・天夷鳥命とされており、出雲国造家の祖神であり、国造家が祭礼を勤める出雲国飯石(イヒシ)郡にある式内社・飯石神社の祭神であることと考え合わせれば神名帳考証の示唆はなかなかの明察に思えます。
何故なら
1. 野見宿禰は当麻に領地を与えられている。(当麻の該当地域は現在よりかなり広い) 
2. 鎮座地の近くに花内という地名があり、ハナウチとは焼き物に使う土であるハニツチ・埴土からの転訛地名と考えられ(地名学者・池田末則氏。埴口からの転訛とする意見もある)、土師氏所縁の地と考えることができる。
3. 延喜式には神前の供器として「玉手土師鉢」と記されてあり、これは10C.頃でも近在地の葛上郡玉手(御所市玉手から柏原辺り)に、土師氏の末裔が営む土師器の窯が存在していたと考えられる。
4. 東の大和高田市天満は「扶桑略記」・昌泰元年(898)10月15日、宇多上皇が宮滝行幸の途次、この付近にあった菅原道真の山荘に宿泊されたと伝えられています。 
5. 大和高田市に在る長谷本寺(元々の長谷寺とされる)の創建には野見宿禰の叔父、飯入根命の8世孫・出雲臣大水沙弥法勢が関わる。
6. すぐ近くに和名抄所載「葛上郡日置郷」があり野見宿禰の同族・日置氏の本拠地である可能性がある。
7. 土師氏改菅原氏は、道真が延喜式編纂・完成当時(927年)は失脚し亡くなっていたとは言えその子高視は従五位上、孫の文時は従三位、雅規は従四位上に叙せられ貴族として一定の権力を持っていたと考えられ、宮中祭祀に関りが深い火雷神社を抑えて忍海郡筆頭社に叙せられたのではないか。
野見宿禰・土師氏は、垂仁天皇より当麻蹴速の旧領地・当麻を与えられ、大和国でその地歩を築いた訳で、その後土師器・埴輪の制作氏族として大和古墳群、佐紀盾列古墳群、古市・百舌鳥古墳群同様、馬見丘陵の古墳群の造営に関わり(各古墳群の近くには土師氏の支族が居る)、桓武帝によって引き立てられ文章博士を務めます。
豊富な来歴を持つ氏族ですが延喜式に登載された神社で、土師氏・菅原氏に関わる神社は奈良市に在る菅原神社のみで、これとて菅原道真の誕生地を顕彰する神社に過ぎず、道真以前野見宿禰大和入国以後に一族の祖神を祀った神社は見受けられません。(片埜神社の社伝は素戔嗚に付会したものだと思います。因みに菅原道真を祀る最初の天満宮・文子天満宮の創建は947年) 
現在葛城地方には野見宿禰・土師氏の痕跡が殆ど残っていませんが、最初に地歩を固めた葛城・二上山麓にあるこの為志神社に野見宿禰・土師氏の痕跡を見いだすことは如何でしょうか。 
以前のFBタイムライン及びインスタの記事に加筆して上程。
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