御木本パリ裁判(1924年)の法的検証 -”パリ裁判”とは何だったのか?-
第1章 はじめに
御木本が欧州に養殖真珠を輸出しはじめた頃,欧州の宝石商たちから「養殖真珠はニセモノだ」として排斥運動を起こされ,パリで裁判に発展した有名な所謂「パリ裁判」。ここで勝訴したことをターニングポイントとして御木本の欧州進出は加速したと評価されるほどの重大事件である。
日本のジュエリー史を語る上でも,また今後の真珠大国ニッポンを目指す上での法務戦略としても,まもなく2024年でパリ裁判から100年を迎えるにあたり,あらためて検討に値するテーマであるといえる。
しかし,本判決の正確な内容を知ることができる情報はほとんどないに等しい。唯一,一般社団法人日本真珠振興会が公表している判決原文とその和訳を頼りに,この裁判がいったい何が争われた裁判だったのか,そして判決では何が認定されたかを法的視点を中心に検討する。
第2章 問題の所在(検討課題)
2-1 従来の記述
この裁判についての宝飾関係の記述は概ね次のような文脈のものが多い。すなわち,御木本がイギリス,フランスに進出し,現地の宝飾組合から排斥キャンペーンを起こされたこと,そしてその末に裁判に発展したという方向での記述である。その裁判で「天然真珠と変わらないものと認められた」または,「養殖と表示する義務はないと認められた」という方向での記述が多く散見される。
ここでは、古い文献を近年の文献が孫引きして伝言ゲームのように尾ひれが加わった可能性の有無を検証するため、発行年代順に並べてみた。なお、太字は筆者による。
記述例⑴「一度,この真円養殖真珠が世界の市場に出づるや,大恐慌を巻き起こしたことは言ふ迄もない。各国の宝石商は,驚異の眼を見開くと同時に,大なる不安に襲はれた。御木本幸吉はニセ物商人である,ニセ物を以て,宝石界の撹乱を企てる悪徳漢であると,極力妨害に努めたが,君は確固たる信念の下に,非難抗撃を軽く流して,尚一層の研究と努力とに粉骨細身し,現在では実に年五百萬圓の産出額を示すに至った。」
出典:湯本憲二「世界的大魔術師うどんを眞珠にした御木本幸吉」『財界の名士とはこんなもの?』(事業と人物社,1925年発行)180頁
記述例⑵「然し一方あまり見事な出來なので,英国で偽物だと云われたことから,先方-仏蘭西の或る会社を相手どって世界的の訴訟を起し,エツキス光線,紫外線などとあらゆる化学の試験を受けた結果,全く天然眞珠と変りないことが証明され,訴訟に勝つと共に世界的に売り広めちまった。」 出典:野沢嘉哉「眞珠王御木本幸吉」『大成功者出世の緒口』(晟高社,1930年発行)861頁
記述例⑶「御木本真珠店のパリ代理者ポールは,かの組合側の不当な輸入阻止を民事裁判に訴え,そこで再三審理の結果,1924年4月5日以降,養殖真円真珠はその養殖なることを記載するに及ばない。単に真珠として輸入してよろしいとの判決を受けたのである。かくて法律上,真円真珠は本来の天然真珠と全く同一の取扱を受けるようになったのである。」乙竹岩造『御木本幸吉』(倍風館,1948年発行)134-135頁
記述例⑷「ミキモトのパリ代理店のルシアン・ポールは不当な輸入阻止を民事裁判に訴え,大正13年(1924年)5月以降,真円真珠は特に「養殖」という言葉を付記する必要なしとの判決をとりつけた。」 出典:『ミキモト真珠発明100年史』((株)ミキモト他,1994年発行)88-89頁
記述例⑸「大正13年(1924年)5月,特に「養殖」という言葉を付記する必要なしとの判決をとりつけている。」 出典:社団法人日本真珠振興会編『真珠産業史 真円真珠発明100年記念』(2007年)33頁
記述例⑹「養殖真珠を偽物だと主張するヨーロッパの業者の訴えによって争われた,いわゆる「パリ裁判」で勝訴し,養殖真珠が科学的に本物の真珠であると世界に認めさせました。」 出典:一般社団法人日本真珠振興会編『真珠検定ジュニアアドバイザー講座テキスト』(2019年)21頁
記述例⑺「養殖真珠の施行が西欧に伝わったときの衝撃の大きさは,天然真珠を扱う業者に養殖真珠の排斥運動を起こさせ,ついにはパリで裁判を起こされるほど強烈なものでした。世界的な論争を巻き起こしたこの裁判は,1924(大正13)年,日本の勝訴で終結します。」 出典:山口遼『真珠と人の長い歴史』(雑誌JCB THE PREMIUM 2019年12月号)47
記述例⑻「こうして各国で知名度を上げていく一方、天然真珠の価値低下を恐れた既存ジュエラーは、「ミキモト排斥」に動いた。なかでもフランスでは、「養殖真珠は偽物か本物か」で訴訟にまで発展。後に語り継がれる1924年に決着した「パリ真珠裁判」だ。この裁判で学者から「養殖真珠は天然真珠と変わらないものである」と証明され、以後ミキモトの評判は世界でさらに広まっていった。」
出典:東洋経済オンライン「ミキモトが真珠で「世界一」になった理由 うどん屋の長男だった創業者が掲げた「野望」」伊佐 美波 : 帝国データバンク 東京支社情報部 https://toyokeizai.net/articles/-/201941?page=2
これらはいずれもその各著者の主観的な評価として,宝飾文化史を考えるという文脈では全くまちがっているというわけではないが,法的な事実の検証がされたものではない。
約100年が経過しているため,今後本件について不正確な事実が伝承されないように,再検証が必要である。
2-2 検討課題
そこで,本論文では判決文をもとに,以下の誤解を解消する。
① ミキモトパリ裁判は,「御木本がフランスの業者に訴えられた」というのは本当か。
② ミキモトパリ裁判は,「養殖真珠が天然真珠と変わらないと裁判所が認めた」という評価は妥当か。
③ この裁判が認定したのはどのような事実か。
第3章 御木本パリ裁判(1924年)の要旨
判決文全体の和訳は、一般社団法人日本真珠振興会のウェブサイト(司法関連書籍) から読むことが可能である。
和訳の訳者の著作権の関係で、本稿では判決文自体は省略し、要点(結論と理由)が理解しやすいよう、見出しと解説を中心に紹介する。是非全文をご覧いただきたい。
3-1 本件事案の概要
原告 ポール(御木本パリ支店長) 代訴人ギュー、弁護士A.カン
被告 ダイアモンド・宝石商卸売業者組合およびその代表者ユーグ・シトロエン個人 代訴人ボージェ、弁護士 P. マセ
提訴理由 宝石商卸売業者組合およびその代表のシトロエンがその行動や書面・新聞・雑誌の記事・大規模出版の掲載により過激で私欲に基づいた批判キャンペーンを展開した
3-2 原告(ポール)の主張
・ポールが日本から輸入した高額商品「高級日本養殖真珠 40 点」のフランスへの持ち込みが許可されなかったこと
・ 1921 年 1 月 28 日および 29 日にフィガロ紙、ル・タン紙、ル・マタン紙に掲載された「ダイアモンド・宝石商卸売組合は、ある種の商人が販売目的で使用している《高級日本真珠》の名称に対し警戒を呼びかける。日本真珠は模造真珠である。高級真珠の名称でこうした商品を販売している商人は、詐欺行為防止のために法律が定める厳密な名称の規則に違反する危険を冒している」という記事に対して 150,000 フランの損害賠償を請求。
3-3 養殖真珠が天然真珠と同様の価値があるかは、本件の争点としては扱わない
問題の養殖真珠が厳密に天然真珠と同じであり、真珠商が東洋の高級真珠として市販している真珠と同様の商品価値があるか否か、また養殖真珠を高級真珠として販売することが公衆に対する販売および販売されている物品の品質、性質に対する詐欺となるかどうかは、現時点では検査または研究、あるいはその両方を待つ必要がある。
3-4 本件の争点は、組合の広告表現が名誉毀損にあたるか否かである
しかし唯一重要なことは、被告が「警戒」を促すことが目的であるとしながら、現実にはこうした真珠が偽物・人造であるという考えを流布させる目的のキャンペーンをしたことが準不法行為にあたり、原告に損害を発生させたかどうかである。
3-5 争点に対する判断①被告の行為に準不法行為が成立するか
記事や雑誌に掲載された意図的に侮蔑的な表現は、フランス語の一般的な語句の意味において、「模造」という語を用いることによって、ポールが販売した養殖真珠の正確な科学的性質に対する疑念を提起している。
しかしながら当該分野の自然科学史学者、その他専門研究者たちの世界では、全員が一致して承認する結論には達していないものの、いかなる者も日本真珠を模造真珠と形容することは許されないという点では共通している。
宝石卸売業者組合がより慎重であれば、この日本真珠に関してはさまざまな見解が存在し、一般的な結論が提出されていないことを知っていたはずである。
以上から宝石卸売業組合の責任は明白であり、その結果として宝石卸売業者組合は自らが犯した過ちあるいは準不法行為の責任を負う義務がある。
また、被告は、原告は産地の情報を表示していないことを主張するが、現状において、はなはだ遺憾ではあるが、一般的に高級真珠の販売においても、いかなる生産地の情報も含まれていない。
よって、宝石卸売業者組合とその代表が〈養殖〉と言われている真珠を〈模造〉と形容することは、宝石卸売業者組合が組合組織の規約により保有している権利の逸脱である。
3-6 争点に対する判断②原告に損害は生じたといえるか
被告にこの訴訟の費用と、本公判を 4 紙(フィガロ、ル・タン・ル・マタン、ル・ジュルナル)および宝石卸業者組合の会報に掲載する費用の支払いを、損害賠償の名目で命じる。
以上の理由により、ユーグ・シトロエン個人を無罪とし、宝石卸売業者組合とその代表者としてのシトロエンを連帯して有罪判決を下すものである。
第4章 本裁判の再検証
以下では,本判決文をもとに,法的な視点から検討を加える。すべて筆者の私見であることを断っておく。
4-1 本裁判は,「御木本が訴えられた」ものではない
本判決からわかるとおり,本判決は,御木本パリ支店の支店長ポールが,輸入した養殖真珠40点のフランス国内への持ち込みが許可されなかったことおよび4紙に掲載された,「日本真珠は模造真珠である。」等の広告記事に対して,(準)不法行為に基づく損害賠償を請求したという事件である。
なお,持ち込みが不許可となったことに対する損害賠償は棄却されている。
4-2 本裁判は,「養殖真珠が天然真珠と変わらないと裁判所が認めた」わけではない
4-2-1 名誉毀損の成立要件
中心的な争点は「日本真珠は模造真珠である」という記事を被告組合が載せたことに対する名誉毀損の成立である。
なお,現代の日本法においても,誹謗中傷記事の掲載に対する名誉毀損は,刑事訴訟(日本刑法230条)および民事訴訟(民法723条)の両方で問題となりえる。
当時のフランスでは,1810年以降,民事事件と一部の刑事事件をどちらも「第一審裁判所」が裁判する制度が整理されており,いわば刑事裁判と民事裁判を一緒にやる(これを民事刑事統一性の原則という)とのことである 。
出典:中村義孝『フランスの裁判制度(1)』( 立命館法學 2011(1), 1-61 )http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/11-1/nakamura.pdf
そこで本判決中でも「有罪・無罪」という表現が用いられている。
日本法においては、刑事民事ともに公然と事実を適示し,他人の名声や信用といった社会的評価を低下させることが要件であるが,公共の利害に関する事実に関して,公益を図る目的で,かつ真実であることの証明があったときは,責任を免れる(刑法230条の2)。これを「真実性の抗弁」という。
例えば,たしかに被告は「A社の真珠は模造真珠だ」という広告を出したのはまちがいないが,A社が扱っている真珠が本当にアクリルパールやコットンパールだったという場合には,「模造真珠である」という事実は真実であるということになるので,名誉毀損罪は成立せず,または損害賠償請求はできないということになる。
つまり,「養殖真珠が天然真珠と科学的に同一である」というのは,この真実性の抗弁(フランスで当時そのように呼ばれていたかは不明であるが)に対する再抗弁と位置づけることができる。その裏付け証拠として,さまざまな科学者の意見書や証人尋問が行われたということになる。
結局,「養殖と天然が科学的に同一かどうか」付随的な争点にすぎないことがわかる 。
4-2-2 養殖と天然が同一かは研究者の中でも意見が分かれているが,少なくとも「養殖真珠は模造とはいえない」という点では概ね一致していた
本判決【3-4】は,「問題の養殖真珠が厳密に天然真珠と同じであり、真珠商が東洋の高級真珠として市販している真珠と同様の商品価値があるか否か、また養殖真珠を高級真珠として販売することが公衆に対する販売および販売されている物品の品質、性質に対する詐欺となるかどうかは、現時点では検査または研究、あるいはその両方を待つ必要がある。」と述べている。
よって,この裁判で学者から「養殖真珠は天然真珠と変わらないものである」と証明されたと解釈するのはいささか行き過ぎである。
ただし,本判決【3-5】は,「しかしながら当該分野の自然科学史学者、その他専門研究者たちの世界では、全員が一致して承認する結論には達していないものの、いかなる者も日本真珠を模造真珠と形容することは許されないという指摘が形成されている。」とも述べており,少なくとも模造真珠と形容するのはちがうという点では研究者の多数は一致していたようである。
4-2-3 養殖であると表示する義務がないと認めたものでもない
また,本判決は,「養殖」と表示する義務なしとして,以後真珠として輸入してよいと判断したというわけでもない。くりかえすが,あくまで名誉毀損の成否が争点である。
その中で,養殖真珠を「養殖」と表示しなかった御木本側が詐欺のおそれがあると広告したことに対して,同判決は、天然真珠も産地について表示する慣行(ルール)が認められないので,「養殖」と表示しない御木本パリ支店を「詐欺」と表するのは名誉毀損にあたるということだと解釈できる。
決して,単に真珠として輸入してよろしいとの判決を受けたとか,法律律上,本来の天然真珠と全く同一の取扱を受けるようになったなどということはない。
4-3 本裁判が認めたのは,中傷記事の掲載による準不法行為に基づく,ポールの精神的苦痛に対する損害賠償(謝罪広告掲載費用)だけである
本判決が認容したのは,名誉毀損に対する謝罪広告の掲載費用の支払いと訴訟費用の支払いだけである。当該掲載された新聞上に本判決を掲載させることで名誉を回復させようとする判決であり,日本の民法723条に基づく謝罪広告命令と類似している。また,輸入を阻止されたことに対する実損害(物的損害)の請求や,組合長シトロエン個人に対する請求は棄却されている。
このように,本件判決は,謝罪広告掲載費用の支払いを認めたというだけであり,それ以降の販売に際して「”養殖”という言葉を付記する必要がない」等とはひとことも述べていない。
4-4 本件の宝飾史上の意味
本判決は,決して「裁判所が天然との同一性を認めた」とか,「養殖と表示する義務なしと認めた」などというわけではないが,当時のヨーロッパの宝飾ギルドからの誹謗中傷キャンペーンを排除するという意味では,非常に大きなインパクトがあったものと推察される。実際,この時期以降,御木本は世界中に販売網を拡大し世界的なブランドへと成長していく。
当時の御木本は国内の特許訴訟でも次々と訴えて競合を排除していき,海外進出時にもヨーロッパの組合などからの誹謗中傷記事に対しても毅然と訴訟提起する方針をとった。
このような事実からは,御木本幸吉の「戦う経営者」像が見えてくるように筆者には思われる。どのビジネス分野でも,革新的なイノベーションを起こす際には既得権益を持つアクターからの苛烈な圧力を受けることがある。そのような抵抗を防ぎ,さらにシェアを拡大する際には,知財を含めた法務戦略が欠かせない。例えば最近の立体商標の積極的な取得や模倣品訴訟を積極的に行うTASAKIの法務戦略と類似性が感じられる。
本判決が出た当時,御木本の法律顧問であった法律家たち(その中には内村達次郎弁理士(現・協和特許法律事務所創立者)などの名が知られている)は,「養殖を模造と称した名誉毀損に基づく損害賠償請求が認容された」ことを説明したと思われるが,その後の伝わり方として,それはつまり養殖が天然と化学的に変わらないものであることが認められたというふうに伝わったのではないかと想像される。もしくは,それを広告戦略として活用した可能性もある(上述第1章の記述例)。
このような御木本の積極的な経営方針によって,日本の養殖真珠は世界に進出したといえる。
第5章 まとめ
本論文では,とかく誤解されがちな御木本パリ裁判について,主に判決文から客観的に読み取れる法的事実に着目し検討したが,御木本パリ裁判という歴史的事実の重要性は下がるわけではない。日本の養殖真珠が世界に進出するターニングポイントの1つであることにかわりはなく,むしろその内容や宝飾史上の意味について,今後さらに検証されることを期待したい。
御木本真珠店のヨーロッパ進出当時の現地のギルドとの衝突や紛争については,パリでの本裁判以外にロンドンでの訴訟(1921年)もあるようであり,本判決についても,訴状や証拠,特に証人達がどのような証言をしたか等についても,今後さらなる研究の余地がある。
(追記)
まもなくパリ裁判から100年、業界全体でのシンポジウム等活発な議論がされることが望ましいと思い、無料公開することにいたしました。
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