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第16回 GIA Tokyo GemFestリポート(後編)

※宝石学素人の個人的メモをもとに書いているためまちがいもありますのでご了承ください。情報の正確性は保証できません。「gems & Gemmology」などの論文原典をご参照ください。

■桂田博士『モンタナ・サファイアの魅力』

○サファイアについて
・コランダム(Al2O3) 三方晶系 モース硬度9
・赤色以外のコランダム
・ブルー・サファイア
・ファンシーカラー・サファイア
・パパラチャ・サファイア
・一般的に認められる処理 加熱処理

○これまでの産地の考え方
・変成岩に由来:カシミール、ミャンマー、スリランカ、
・玄武岩起源:カンボジア、タイ、オーストラリア、ナイジェリア、エチオピア、米国(モンタナ州)
・今はそんな単純ではないということがわかってきた>貫入岩に関係するものもあるのではないか

○モンタナ・サファイアの歴史
・1899年にアメリカ合衆国になった。カナダと国境を接する北西部の州。
・Big Sky Country, The Treasure State
・19世紀北米のゴールドラッシュで西部開拓がすすむ。
・1865年に、ミズーリ川上流部ではじめてサファイアが発見された。
・1889年にドライ・コットンウッド・クリークで鉱山開発。
・1982年にロック・クリークで鉱山開発。
・1895年にヨーゴ峡谷で鉱山開発。
・1897年に、ティファニー社のジョージ・クンツ博士が論文発表。
・1897年にニュー・マイン・サファイア・シンジケート発足
・1900年、年間産出量40万カラットを超える。(うち10万カラットが宝石用。残りが時計ムーブメントのベアリングなどの工業用)
・1902年ヨーゴ峡谷でイングリッシュ鉱山、1905年にヨーゴ・アメリカン・サファイア社(操業者は英国人のガズデン夫妻)が開業。
・1923年、洪水被害
・1940年代前半、第二次世界大戦特需。
・1940年代後半、産業用合成サファイアの隆盛。
・1950年代~宝飾用サファイアを中心に復興。
・~1970年代、ヨーゴ峡谷で様々な企業が開廃業
・1970年代、加熱処理による色の改善で、宝飾用サファイアが復活。
・1982年、「ロイヤル・アメリカン・サファイア」として非加熱のヨーゴ産サファイアのマーケティング。
・2004年、ヨーゴ峡谷最大のヨーゴ・クリーク・マイニング社が廃業
・ロック・クリーク、ミズーリ川流域で観光業を中心に再興を図っている


○代表的な採掘地域
・ヨーゴ峡谷のみが一次鉱床、残りは二次鉱床

○ミズーリ川
・ウオッシュプラントといって、土砂を水で洗ってたまっていったものの中にサファイアをとる
・透明度が高い
・多色性(見る方向によって色が変わる)

○ロック・クリーク
・谷底に土砂がたまって、その中い土砂がとれる。
・主目的は金で、不純物としてサファイアもとれる。
・パステルトーンのやさしい色合いが多い
・大部分がブル~グリーン(合わせて60%以上)

○ヨーゴ峡谷
・ブルー~バイオレッド

○加熱処理
・あまり魅力的なない石の色をかえるための処理
・加熱(酸化雰囲気)ファンシー・バーン
・加熱(還元雰囲気)ブルー・バーン


○鑑別方法
・特徴的なインクルージョン ルチル(ニードル)もよくある
・微量元素 LA-ICP-MS
・産地のデータサンプルをとることで、比較して総合的に産地鑑別ができる。


○モンタナ・サファイアの現在(ツーリズム)
・観光客は、バスタブの中の土砂からサファイアを探すようなショップがある
・商談や購入などもできる。


<私的な感想>※個人の見解です。
 カシミールなど高級とされる産地の影に隠れてあまり有名というわけではないですがモンタナ州産サファイアは東京ラボでもかなりの数が持ち込まれているとのことでした。ジェモロジストの皆さんは、世界中の鉱山から原石を自ら入手してデータサンプルを収集することで、不明石が持ち込まれたときにデータとの比較で産地まで鑑別できるようになっているわけです。ともするとラボにたのんで何かごっつい機材にいれたらなんでもわかるような錯覚を覚えがちですが、その背景には地道なフィールドワークがベースにあるのだということがわかります。

 また余談ですが、モンタナ州での観光客を呼び込んで資源保全と両立するツーリズムの試みは、秩父や糸魚川、また真珠養殖の産地でも参考になる取り組みだなと思います。


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