まだ貴金属買取相場で消耗してるの?(リユース広告再考)
※重要!(令和6年4月23日加筆)
令和6年4月18日付け消費者庁長官決定にて、このたび古物商も景表法の対象となることになりました!
消費者庁
該当部分「景品類等の指定の告示の運用基準について」3(4)
以下の記事は2020年10月当時の内容なので十分注意してください。
1 現状の貴金属買取店の誇大広告問題
どぎついフォントで、
・どこよりも高く買い取ります!
・なんでも高額買取!
そんな広告、もうやめませんか?
(グーグル画像検索結果 「買取店 広告」)
中には、実際と異なる条件での買取実績を載せて、実際に持っていくといろいろいわれて全然ちがう価格に、なんてこともよく聞きます。
そもそもこのような誇大広告が氾濫している根本原因は、景品表示法の適用対象が、買取を対象外としているためです。
そもそもおしゃれじゃないし、お店の外装とかもうさんくさいと思う方もいるのではないでしょうか。というか、みんなが同じようなことをやりすぎて、一般のユーザーももはやそんな「どこよりも高く」のような広告文句を誰も信じなくなっているのではないでしょうか??
2 価格競争以外にもっとほかの広告手法やブランディング・差別化の方法はないの?
もちろんユーザーにとっても少しでもお金になるほうがうれしいし、中には何店舗も回って査定額を比較する方も多くいらっしゃるでしょう。
しかし、正直遠くまでいって0.1円高かったからといって、べつにあまり気にしない。そんなことよりも暗くて怖くてうさんくさい店には行きたくない、という人も一定数いらっしゃるのではないでしょうか。
買取店や質店に対して「そもそも入るのが怖い」というイメージを持っている顧客層は思ったより多い気がします。
そのようなうさんくさい誇大広告ばかりを打っているとそりゃイメージも悪くなりますよね。
今はまだ絵空事かもしれないのですが、マテリアル系業者の方と話していても、結局価格の話しかしない(それ以外の要素が一切抜け落ちている)ことに違和感を感じました。
瀧本 哲史 さんの「僕は君たちに武器を配りたい 」にも、コモディティ化した価格競争ではいつまでたっても利益は出ないというようなことが書かれています。
これからは0.1円でも高く、とせまい競合どうして価格勝負するより、他の価値の打ち出し方があるのではないでしょうか。
たとえば、これだけエシカル消費などが一般化してくると、こんどは消費のときだけではなく、自分が手放すときにもその手放し方にも気をつけるようになるのは自然な流れだと思うのです。
地金・マテリアル系業者の脱税や、密輸などの不正事件も後を絶ちません。
そんな「テロ資金や犯罪組織に流れているかも分からない」ような「高く買い取ってくれる業者」には出したくない。
それよりも、買取価格は普通であっても、この会社に出せば自分の貴金属がどのような先に流れるか責任をもって監査できているほうに出したい、そのためになら追加でコストを払ってもよいという顧客も将来的には増えていくのではないかと思うのです。
以前このようなnoteを書きました。
まだまだあまり理解していただけないことも多く、現場感覚からは絵空事なのかもしれないのですが、これからは0.1円でも高く、と価格勝負するより、あなたの会社に出せば自分の貴金属がどのような先に流れるか説明や保証ができることを価値にしていくべきではないかと思うのです。
大切な想い出や愛着もある貴金属を、何かの事情で手放すとき、その瞬間にグラム何円何銭の次元に変換されてしまうことは買取の性質上仕方ないことです。
ですが、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』の「粉ミルクの話」のような、物流や経済を介した人間どうしの結びつきについて、貴金属の現場でストーリーを語れるような、リユース広告もあっていいのではないでしょうか。
3 リユース業ってそもそも何だっけ?(社会的価値を考える)
買取の現場で日々忙しく働いているときは、その目の前のユーザーの成約をとれるかがだいじであって、その環流された貴金属がどのように新しい役割を担って社会で役だっていくのかや、それによって地球環境や鉱山労働者にどのように良い影響があるのかは、どうしても見えにくいものではあります。
ですが、リユース業って、そもそも、持続可能な循環型社会の形成に貢献できるすばらしいお仕事だと思うんです。
金プラチナや高級時計の価格相場に一喜一憂しているのは、プロ以外の全消費者のうちおそらくほんのわずかです。
それ以外の層をどうすればとりこんでいけるか、どのような魅力や価値を出していけるかを真剣に考えていく必要があるのではないでしょうか。
この先も生き残りたいと思うなら、持続可能なリユースビジネスとは何かをいったん地球レベルで考えませんか?