頑張るということ
モチベーションの源って何?
ふだん経済の話とパチンコの話しかしないような友人が、最近こうした質問を投げかけてきた。(最近はそこまでパチンコの話してない気がするけど)
就職活動を終えてから、どうやら彼は人間の人間性に関心が湧いたらしい。私の文章力に関しては触れないでいただきたいが、要するに人の考え方に興味が向いたようだ。
ともあれ、この手の話は私も嫌いではないので、真面目に答えてみることにした。
今まではおそらく承認欲求をもとに頑張っていた。しかしそれは苦しいと気づき、現在は好きという気持ちを原動力にするよう気をつけている。
理解は得られなかった。
頑張り続けられるなら、それでいいのでは。そう言ったのは、隣に座った先輩だった。
もちろん向上するためには不可欠な視点であるし、正論である。
しかし、私にはそれが苦しかった。
だっていくら頑張っても許してもらえないから。
私は「もう頑張らなくていいよ」と言ってほしくて頑張っていた。
それはここ最近、自分を振り返って気がついたことのひとつだ。
言っておくが、毒親に育てられたわけではない。
なんなら甘やかしと叱りをいい具合に受けていたし、喧嘩もするけど親とは結構仲が良い。
「許してもらえない」という言葉が「『もう頑張らなくていいよ』と言ってもらえない」という言葉の代替だということは、当然友人には伝わらなかった。 そりゃそうだ。
そこで今のように冷静に説明できればよかったのだが、私のように人を怖がる性格の人間は、そういった場面で頭を使う余裕などないのである。
私は、「きっと根本的に、私は頑張るのが好きじゃないんだろうなあ」と言った。
本当に頑張るのが好きじゃないなら、かけもちしてまで部活になんか入っていないし、大学に入ってからアンブシュア直そうなんて思わないのにね(トランペット奏者)。
ともあれ、「頑張るのが好きじゃない」と言った私に、友人は「それは結果を出していないからではないか」と返してきた。
彼の指摘は、実際の出来事と正反対だった。
どちらかというと私は努力量に見合わない良い結果を出し続けている節がある。的外れな意見ではあるのだが、それはそうとして、彼が私の意見に対して、ムッとした雰囲気が感じられた。
彼は、上を目指すという言動をよくする。
同世代に差をつけたい、20代で成長したいなど。まあ最近の若者がよく言う台詞ではあるが、私は純粋にそう言う人たちのことを尊敬している。
とはいえ、疑問なのだ。
彼に限らず上に行きたがる若者は、向上したあと何がしたいんだろう。
頑張って上に行って、そこで何したいだろう。
頑張って得られるいいものは、ほんの一部でだと思う。他は責任とか仕事の難しさとか、嫌なものがほとんどじゃないのか。
私は上に行って得られるものに魅力を感じない。むしろ責任増えて嫌じゃない?と思うわけ。頑張れば頑張るほど苦しい条件下に置かれるんだから頑張る必要なくない……?
私は多少ではあるが、それなりに結果を残してきている。
自慢できるほど立派な物ではないが、事実として結果を出した証拠は残っている。
その中で思った。
当たり前だが、成功すればするほど、難しくて責任の重いことをやる必要が出てくる。
私はそれが本当に嫌なのだ。
これは馬鹿にしているわけではなく、心の底から疑問に思うことだ。
上に行きたい人、成長したい人。
みんなはそのあとに、何を見据えているのでしょうか?
私には、上に行って初めて得られるような欲しいものなんてない。
みんなは何が欲しいの? 向上して、転職して、はたまた起業して、その先に何がやりたいの?
結果を出せば出すほど苦しくなるなら、出さない方がいいじゃん。
みんないつまで頑張り続けたらいいの?って思わないのかな。
眠いからこの辺りで切りますが、なんとなくすっきりしました。