コミュニケーション力が下がる
私はコミュニケーションが苦手だ。それは、話すことが苦手という意味ではない。
コミュニケーションとは、やり取りである。
言葉のキャッチボールなどと言われることがあるが、まさにその通りだ。相手が何を言っているのかを正確に理解し、自分の話したいことをまとめて、返す。コミュニケーションとはこの過程のことを指す。
私が苦手と言っているのは、相手の言葉を理解する段階のことだ。
現在コロナウイルスの影響で、我々大学生は引きこもることを余儀なくされている。もちろんそうでない人も大勢いるだろうが、たまたま私の友達は真面目に自粛している人が多く、遊び相手がいない。感染防止を考えると出歩くべきでないという考えは尤もだし、自分も納得するところがあって在宅自粛を選んでいる。
しかしここ最近、家族と話していて恐ろしいことに気がついた。
コミュニケーション力が落ちている。
冒頭で述べたように、私はコミュニケーションが苦手である。話すことではなく、人の話を聞くことが大の苦手だ。何せ集中力がないし、自分の話したいことが次から次へとわいてきて、そのことで頭がいっぱいになってしまう。それでいて自分の考え方が確立しているかと聞かれるとそうではないので、実に難儀である(これについては、「抑圧型人間」の記事に詳しく書いた)。
さらに、考えてから言葉を発することが極端に苦手だ。親や弟は「喋りたい気持ちをぐっと我慢しろ」と言う。しかし、どうやら私は我慢する根性すら持ち合わせていないようで、いざ会話の場面になると我慢しようと思い出すことすらした試しがない。そして会話が終わった後に、泣きながら布団にこもる。そして思うのだ。ああ、今日もまた人の話を聞けなかった、と。
自己嫌悪に陥るくらいなら意識すればいい、と言う人がいるかもしれない。そんなことは分かっているのだ。しかし、会話の場面になるとあまりにも「我慢しよう」という発想がすっぽ抜けるものだから、自分に信頼など置けるはずもない。
本当にできないのか、そもそもやる気がないのか。考える中で、きっと私はそれを直す気が本当はないんだろうな、という結論に達した。直したいとは思うが、心がけることすらできないということはきっとそういうことなんだろう。もちろん、だからといって今の悩みが解決するわけではない。根底の意志がどうあれ、コミュニケーションが上手く取れないと困ることに変わりはないのだ。
そして元々あってないようなコミュニケーション力が、自粛期間を経てさらに落ちた。
家族と話していると、特に話したい内容があるわけでもないのにひたすら口から言葉が飛び出してくるようになった。ストレス云々と説明したくなる人もいるだろうが、私にとって自粛期間は、不謹慎だけれどストレスフリーの時間になっている。なぜなら、自分のやりたいことをやりたいときにできるからだ。
ではなぜ、ここまでコミュニケーション力が落ちたのか。考えられるいちばん大きな理由は、家庭外での会話の機会が減ったことだろう。
家族に対して、私は何を言ってもいいと思ってしまっている節がある。我が家はなんだかんだ仲良し家族でここまでやってきているが、私の言動、私によく似ている父の言動(どうやら彼の場合はこれに危機感を抱いていないようだが)のせいで家族の仲をいつか壊してしまうのではないかと感じることが多々ある。そこまで不安に思っているくせに、それでも口から勝手に話が溢れてくるのは本当に苦しい。
お前は何がしたい? 何を伝えたい?
それに対する答えは至極単純だ。
伝えたいことなんてない。ただ、理由もないのに勝手に口が動いて話をしているだけなのだ。今だって実際、人に何かを伝えたいだなんてみじんも思っていない。
ここまで考えて気がついた。私は、人を人だと思っていないのかもしれない。相手は自分よりもできた人間だ、という甘えを作って自分の言いたいことを押しつけていたにすぎないのかもしれない。かもしれないとは言うものの、これはほぼ確信となって自分を責め立てている。
友人に、自分と向き合えとアドバイスされた。そんなことは百も承知だし、私は物心ついたときからずっと自分と向き合うことを趣味にして生きてきた。友人が言っていることはごもっともなのだが、具体的にどうすればいいのかが全く分からない。
これからも私は、こんな風に苦しさを感じながら生きていかないといけないのか。自分が話さないように気をつけることには取り組んでみたが、半年で死ぬほど気持ちが落ちたのでやめた。それを甘えと言うなら、私はさっさと人生をやめた方がいいのかもしれない。いや、やめる気はさらさらないけど。
なぜ相手のために話さなければならない? みんな自分の言いたいことをぶつけ合うだけでいいじゃないか。なんで相手を喜ばせるために自分が死ぬほど気持ちを落とさないといけないんだ。なんでそれができないのはだめなんだ。
もう社会で生きていきたくない。
とはいえ、やはり死ぬ気もさらさらない。だって自分の人生だから。どうやったら苦しくない生き方ができるか、死にものぐるいでもがくしかない。頼むから、その先に希望なり楽しみなりが待っていてほしい。
来世は、金持ちの家の飼い猫になろう。