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母を自宅で見取りました②



 去年の秋。同居している母がもう長くないと悟ったあと、私は思い切っていろいろと「その後」について聞き取りをしました。お葬式はどのようにしたいか、遺影はこの写真で良いか、母がいろいろとやりくりしていた実家のお金の流れもほぼ聞いて紙に書き出していきました。


 母自身も「自分はもうじき死ぬ」と感じたのだそうです。そんなことを話し始めたのが12/30頃。自分で注文しておいたおせちが届いた時も「食べられないかも……」とつぶやきました。しだいに「床の間にある筒に、お父さんの父親が戦病死した時の国からの書類が入っているから、お父さんが亡くなったら棺に入れてやって」だの「卵のお寿司のクッションは、◯◯ちゃん(私の娘の子ども、母にとってはひ孫)にあげてね」だの、遺言めいたことをいろいろと口にするように。


お寿司のクッション。肺に水が溜まっていたため、前屈みの姿勢がラクで、これを抱いて突っ伏していることが多かった


 意識が朦朧としながらも

「ガス代の請求書が来たら払って……折半だから。あと、電気代は折半じゃないから」

 とか言い出して、苦笑。どんだけお金にまつわることにこだわりがあるんだ。でも母が毎月そうやって、支払いが遅れないようにやりくりしてくれていたおかげで生活できていたんだな。母がいなくなってしまったら、何もできない父はさておき、弟と私と夫でやりくりしていかなくては……と思いました。本当にその翌日にガス代の請求書が届いて、舌を巻きました。同時に、「ガス代払っておいて」が最期の言葉だったらどうしよう、と本気で心配になりました。

 1/1の朝、母は起きてリビングへ来たものの、「ちょっと起きていられない。横になる」と言ってベッドへ。何も食べられないとのことで食事もとらず、水分もとれない状態でした。訪問診療の先生には、その少し前、12/18には

「予想していたより進行が早いです。もう緩和ケア病棟に入れてもいい
状態だけど、ご家族の意向はどうですか? 今、お風呂にはいれてないことと、ご自身でトイレに行けなくなっておむつになった時、ご家族がどこまで自宅でできるかがカギだと思います」

 と言われていました。父や弟に相談するまでもなく、できうる限り自宅にいさせてあげよう、と決めていました。父も弟も、自分の考えなどありません。母がそのように、考えなくても済むよう何でも先回りしてやってきてしまったからです。

 1/1に母が朝から寝ついて、いよいよだと思いました。訪問看護に電話をし、状態を説明すると酸素を5リットルまで上げてよいとのこと。もう救急搬送してもよい、家族の判断に任せると言われ、一瞬迷いましたが最初に決めていた通り、救急搬送はしないことに。家族LINEにそのことを流し、母の弟である叔父には電話をしました。叔父は午後に夫婦で会いに来て、長男夫婦は生後5か月の子どもと初詣でのあとに来てくれました。

 その時の動画があります。生後5か月の息子を抱いた長男が、おばあちゃんの横たわるベッド脇で、子どもがよく見えるようにしながら話しかけています。その様子をスマホで撮っている長男のお嫁さんが、鼻をすする音が時々入っています。今、まだ私はその動画を進んで見る気になれません。

 元日の夜は、母と過ごした最後の夜になりました。母の最期の言葉はガス代払って、ではなく、

「〇〇(私の名前)、ここにいて」

 でした。

#看取り
#母の介護
#終活
#お葬式

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こんゆじまじこ
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