
かたちを変えてゆく家族のことについて
今どきは授かり婚と言うようですが、私が20歳で長男を妊娠した1990年は、「できちゃった結婚」と言われました。
20歳で生んで育てるのは、まさに「子どもが子どもを生んだ」状態。私も成人していたとはいえ、全くの子どもでした。だってね。本気で思っていたのですよ。
「こんな大変なことが一生続くんだ」
って。
そんなこと、冷静に考えたらわかることなのに。
いつまでも寝ている赤ちゃんの状態であるわけがないのに。
いつまでもおむつをしているわけじゃないのに。
トイレで用を足せるようになって、幼稚園や小学校へ行くようになって。言葉を覚えて話し、意志の疎通ができるようになる。
3人の子どもたちは、あっという間に成長し、やがて家を出て独立し、3人とも良い伴侶に出会い結婚しました。
そして。
今年、令和4年6月11日。
末っ子の長女27歳が、女の子を出産し、私はおばあちゃんになりました。
「若いおばあちゃんね」と何人かの友人に言われましたが、今52歳。私の母は私を21歳で生み、私は20歳(21歳直前)で長男を生んだので、その時母は42歳でした。比較してしまい、どうしても「いや、決して若くはないです…」と言う心境なのです。
妊娠を告げたとき、
「えぇっ⁉
私、42歳でおばあちゃん⁉」
と、ちょっぴり怒っていたことを昨日のことのように思い出します。
母が40代、私は満20歳、23歳、25歳で3人を出産したので、ほとんどの子育てを母に一緒にしてもらった感じです。
長男を生んで、実家に里帰りしたとき、母が恐る恐る
「ねぇ、赤ちゃんのお風呂、どうするの?」
と聞いてきました。
「え?私、母親教室でお人形さんで練習したし、産院でも自分の子を沐浴させる実習があったから自分でできるよ」
と言うと
「そう。よかった。私は入れられないからね」
と、安堵したように言うので
「私と弟のお風呂はどうしてたの?」
と聞くと
「ぜ~んぶ、おばあちゃん(母の実母)に毎日来てもらってた。私なんて『ダメ親』よぉ」
だそうだ。訪問入浴かい!意味が違う…。
退院後里帰りして来た娘が、ちょっと買い物に出たいと言うので、少しの間孫と一緒に留守番をしました。同居している私の弟が車を出してくれて、母もくっついて出かけました。
そのとき母は、
「あなたのお母さんはさぁ、若くして母親になったけど、自分で赤ちゃんをお風呂に入れられたし、子育てに関してはちゃんとできてて偉かったよ。おばあちゃんは何もできなかったからね」
と、言っていたらしいのです。
孫はかわいいよ、と皆が口を揃えて言いますが、実際孫を抱いたとき、思い出したことがあります。
20歳で長男を生んだときのあの心細さ。
この子が成長してゆく間の責任が、肩に大きなプレッシャーとして常にあったこと。
その心細さを、過去のものとしていったん脇に置いて見つめることができるからこそ、「孫は手放しでかわいい」ということなのでしょう。
娘の夫が、結婚式の前撮りの動画を確認しながら、
「おじいちゃんやおばあちゃんが生きていたらなぁ…」
と言っていたそうです。
それを聞いて、孫が成人したり結婚したりするとき、夫や私は既にこの世を去っているかも知れないのだ、と思うと言われようもない寂しさに襲われました。
今ここにいる、私の腕でしかと抱いているこの子は未来の人なのだ。つながってゆく命のバトンを、初めて手渡した。そんな気持ちになれるのでした。
いいなと思ったら応援しよう!
