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言葉はフィクション

”言葉”は絶対的なものだと完全に勘違いしていました。


福岡の普通のリーマンよへいです。

普通に落ち込んだり、浮かれたり、嫉妬したり、後悔したりしてます。

今でこそ前向きなメッセージを発信していますが、
数年前までは、中島みゆきとか竹内まりやとかテレサ・テンをこよなく愛するネガティブ属性リーマンでした。

音階でいうと、#よりも♭が好き。知らんけど。

そんなよへいですが、色々あって今に至ります。

この”色々”の部分が、今日のテーマ、”言葉”に繋がります。


前職は、ドアtoドアで1時間強のドライブ通勤。

流れる歌はヘビーローテーション。

「見覚えのあ~あぁぁぁる~、レインコぉ~ぉトぉ~」(竹内まりや)

とか

「なきだしてぇ しまいそぉ いたいほどぉ すきだからぁ」(テレサ・テン)

とか

「道にたおれてだれかの名を~~、呼び続けたことはありますかぁぁ~~」(中島みゆき)

とか

脳内をバキバキに悲壮感で洗脳して仕事に行っていました。

もともとそんなネガティブ属性にも関わらず、
愚痴や文句、悪口、言い訳、他責、叱責が横行していた職場に
辟易し、なにもかもが嫌になって、思考も変な方向へ。

「実はビールって人を不幸にするんじゃないか?」

経営理念では「お客様の生活を楽しく豊かに」とかいいことをばかりいいながら、「従業員さえ幸せになってないやん。」

と思うようになって、仕事が手につきませんでした。

そんな自分を変えてくれたのが当時の部長Oさん。

結婚式を間近に控えていたよへい。赴任したばかりのOさんに、不躾にも乾杯のスピーチをお願いすることに。

接点はゼロ。

「よへいさんを詳しく教えて」

二人で居酒屋へ。このサシ飲みが今後の人生を左右することに。

わたしは思い切ってその悩みを打ち明けることに。

「ビールって人を不幸にするんじゃないですか?」

上司、

「私はそうは思いません。正しく使えば素晴らしいツールです。日頃話せないことを話せたり、気分が明るくなったり、楽しくなったりします。

現に今こうしてよへいさんと楽しく飲むことができています。」

(うぅ泣きそう。笑)

素敵な上司ですよね。

『道具が悪いんじゃなくて、使い方しだい』

そう教えてくれたんです「今あなたと楽しく飲めている」
という粋な表現で。惚れてまうやろーです。

もう一つ金言が。

「本を読むといい」


「O部長のような思考に近づきたい」

そう思って読書を始めました。

そんなこんなで読書習慣ができ、今の自分があります。

本を読む習慣

学びをアウトプットしたい

noteというのがあるらしい

noteを書いてみよう。

こんな経緯いきさつでnoteを始めました。

不思議ですね。

絵に書いたようなネガティブ人間よへいが、
前向きな発信で読者を鼓舞してるなんて。

「あの日あのとき部長と飲んでなければ」
「あの日あのとき部長に相談していなければ」
「あの日あのとき部長が本を教えてくれなければ」

今のよへいはなかったと思います。

そう思うと、過去の苦い経験もなんだかんだで
今に繋がってるんだなって思います。

その瞬間は気づくことができなくても、
振り返るとしっかり道を作ってくれている。

今思えば、苦い思い出でも振り返れる過去があるのはいいなって思います。

もしかすると、語れる過去があるっていうのは幸せなことなのかも。

ほら、人がなくなるときの1番の後悔は「やらなかった後悔」って言いますよね。

失敗したとか成功したとかの問題じゃなくて、
振り返ったときに思い出が回想されることが大事なんじゃないかな。


ここからが本題で、本当に言葉というのはすごいです。

一人の人生さえ左右してしまうのですから。

よへいの人生を変えたのは、間違いなくO部長の言葉。
行動や考え方、そして人生までも変えてくれる言葉はほんとうに宝物です。

だから自分も誰かの宝物になるような言葉を、ここnoteに書きたいと思っています。

そうそう、先日こんな小説を読みました。

noteでお世話になっているまるさんが紹介してくださったんですけど、これがすごくよくて。

(まるさんはこんなかたです↓)

「エミリの小さな包丁」にはタイトルの通り料理をするシーンが頻繁に出てくるのですが、その描写がすごく良くってついつい自分も料理をしたくなるんです。

(その晩はご飯を作りました。ヨシケイ(宅配サービス)ですけどね😅)

で、そのときに思ったのが、
「いい文章って、自然と行動を起こしたくなるんだなぁ」
ってこと。

料理しよう!とか料理しなさい!と書かれていなくても、自然と「やりたい」が湧いてくる。

「ああ、やっぱり言葉ってすごい」

そう思っていたんです。

そしたら、昨日読んだ本がまたすごくて。

この本なんですけどね。

これによると、人はみな「ことばの魔法」にかかっているというんです。

衝撃ですよね。

そもそも言葉というのは、人が作ったもので人の都合の良いように作られていますよね。

そう考えると言葉は全てフィクションなんですって。

著書によると、「自分」というものさえフィクションだと。

「自分とか、ないから。」と、まさにタイトル通り。

たしかにそう考えると、「自由」とか「幸せ」とか「常識」も絶対的なものじゃないし、人が都合よく作ろうとしている幻にすぎないとわかります。

「言葉」は絶対じゃなくて、フィクション。

これをさらに深く考えると、ことばのある面白い側面が見えてきましたので、今回はそれを紹介したいと思います。

書き始めて思ったのですが、正直今回のテーマは難しい。

自分でもゴールが見えなくなりながら、フラフラしながら書いたのですが、言葉の新たな側面が見えるように書いています。

きっと生活に溢れている言葉の見え方が変わってくると思いますので、気になる方はこの先をご覧ください。

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