「母親らしさ」とはなにか?父親として反省すべきこと。
本記事は、添付記事を参考にしています。
母乳は出るのに、赤ちゃんが飲んでくれず、自分を責めたり、人に責められたりする苦悩が書かれた記事です。
これを読んで、父親として反省するところがあったので記します。
赤ちゃんが母乳を飲んでくれないことに、母親がこんなにも苦悩することを知りませんでした。反省します。
それからもう一つ、ここからが本題です。
「母親らしさ」とは何なのでしょう。
記事の中に以下の言葉が出てきた。
「母乳をあげられないのは母親失格」
たしかに母乳は母親にしかできないこと。
ですが、それができなかったら母親失格なのか。
いや違う、父親なんて端から出ない。でも親だ。
母親にしかできないことができなかったとしてもそれだけで失格という話にはならない。むしろ、そんな苦悩も知らずに、「もっと母親らしさ」を望む父親のほうが父親失格だ。
(厳し目に書いているが、自分はそんなに高尚な人間ではない。自戒の意味を込めて書いている。あしからず。)
では「母親らしさ」とは一体なにか?
母乳をあげること?おむつを変えること?夜泣きに対応すること?いろいろあるかもしれないが、一番は子どもを産んでくれたこと、これに尽きるのではないだろうか。
もうすでに、母親らしいことをしてくれた。自分の命を賭して。これで十分だよね。
この先、これ以上母親に望むものがあるか?あるならそれは、高望みだ。
(もう一度言う。自戒の意味を込めている。)
さて、取り留めのない話になってしまったが、朝から少し目頭が熱くなったので、忘れる前に記事にさせてもらいました。筆者の方にお礼を言いたいと思います。
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