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セックス、トラック&ロックンロール・あの娘にこんがらがって…10

形ばかりの秋も終わりを迎えそうな頃、店へ顔を出したルミ姉さんから、川崎が婚約をして警察を退職したという話を聞かされたアタシは、薄いヴェールを被されたような自分に気付きながら、それを知られたくない一心で押し黙っていた。
ルミ姉さんは、品出し寸前のシングル盤の束を一枚ずつ取っ替え引っ替え眺めながらそんなアタシへこう話し掛けた。
「ま、そーいうもんよ……」
アタシは、瞬時に頷き返すことでレスとしつつも、その脳裏には意識と無意識の狭間で横たわっていたあの日を彷徨っていた。そう、JKが川崎と覚しき相手と交わしていたスマホでの会話を思い出していたのだ――
「ま、そーいうもんかァ……」
「サキ、解脱する、かァ。じゃ、ま、呑みに行こうよ?」
「そーね、うん。ちょっと待ってて、着替えてくる」
アタシは、カウンター裏の丸椅子から腰を上げると、住居の方へ向かった。その出掛けに見た姉さんは、先程まで眺めていたシングル群の中から一枚を選んで抜き出そうとしていたが、アタシが廊下の奥の階段を登り始める頃、ポータブル・プレーヤーで流れるその曲が聴こえ始めた。階段を登るアタシに、そのサントラはどこかそぐわなかった。流れてきたのはザ・スパイダースで、楽曲は‛なんとなくなんとなく‚だった。
ギシギシ軋む階段の音が思い出したくない一連の記憶を炙り出しそうで、無理に井上順に集中してみようとした。けれど、脳裏には川崎が拡げて掲げて見せた両手が鮮明に浮かんで消えなかった。
「くそったれ!」
そう毒づいたアタシには、やっぱり、どうにもそぐわないサントラだった……。

夜風はもう寒かった。勢いボトルからマグカップへワインを注ぐピッチは速まっていた。
ショバは吉川ビルの屋上。店から歩いて十分程で、リョウ兄さんとルミ姉さんの住まい兼仕事場で、今も未だ吉川へのローンの支払いは続いていて、近頃のルミ姉さんはその身体を張った支払いをいつまで続けられるかを気にしていたし、アタシはアタシでその役回りが近い将来この身に、そうアタシの性格からいっても、恩を仇で返す訳もなく、その肩代わりを甘んじて承ける可能性が捨てきれないという予感、そんな各々の措かれた立場、各々が抱えた鬱屈、そんなこのショバに澱んだ時の流れの吹き溜まりも、初冬を感じさせる夜風に乗って、この住宅街へと拡散させていくことで、ダルに成立している、そんなアタシ達にとって掛け値なしの捌け口の場として、このショバでのこうした飲み会は互いに大事な行事になっていた。
で、コンビニで買ったフライドチキンを食べながら、脂で汚れた指先をワインに浸して揺らしながら、流れるレコードに耳を傾けていたアタシだったが、見るとルミ姉さんは姉さん達がこのビルに移る以前から屋上に捨て置かれていたと覚しき汚ないソファーへ座り込み、住宅街の上空を覆う闇の一点を見据えていた。
「姉さん、なに眺めてんの?」
「今さ、稲妻走ったと思うんだよね……酔ったァ?」
「稲妻、ねぇ……」
アタシは、グラスから抜いた指先をしゃぶり、味わいながら、住宅街の上空へ視線を這わせてみた。と、屋上で流れているレコードが醸し出すムードたるや、気味悪いぐらいにピッタシだった。選んだのはこれもルミ姉さんで、プレーヤーで回っているLPは、『ピンク・フロイド/炎』だった……。うねる寂寥が、アタシのエモーションの堰を揺さぶりにかかる、“狂ったダイヤモンド„が流れていて、その場で寝転んで夜空を見上げたアタシではあった。と、不意に口を衝いた。
「嗚呼、なんだこれ……」
あの晩の夢と、そして転げ落ちた階段下で仰向けた晩が、今日のこの日の晩と唐突に通底して、過去も未来もそして今すらもなし崩されて、無時間に放り出された様な気がしたからだった。咽び泣くギルモアのギターが、アタシの心の隙間を埋めて、あわよくばアタシそのものに成り代わってしまいそうな怖さを感じながら……。
ジグザグ――
アタシも今、夜を貫く稲妻をこの目で見た……。

シャッターを勢い良く上げたアタシが、店内へ踏み入れた途端、何かを踏み掛けてハッと飛び退いた。それにつられて雨粒が四方へと飛び散った。外は季節外れの雷雨だった。

激しい雨が降る、そしてぐしょ濡れなアタシは、ジャスト・ライク・ア・ウーマンで、ボブ・ディランでも聴いてオナルか……。

そんなことを考えながら、踏み掛けたそれを屈んで拾い上げた。シャッターの新聞入れから投函されたらしいそれは小振りな茶封筒だった。軽かった。カチャッと音が立った。表にはこちらの宛先が記されていて、裏には発送元が南国とだけあった。消印はどこにも見当たらない。ふと思って茶封筒を小刻みに振ってみた。しばらく待った。危険はない、そう判断した。もっとも、そう判断したアタシは、かなり酔ってはいたが。で、ビリビリって封を切った。カセットテープだった。46分。ケースを開いて、テープ本体を手に取った。と、ヒラヒラと何かが足元へと落ちた。しゃがんだアタシは、その紙片を拾って開いた。そこには意外に几帳面な字で曲目が記されていた。A面に5曲、B面に5曲。そして、それに続いてこう記されていた――

‛あなただけが、なにも得てないから……これ‚

他には何も記されてはなく、ただそれだけだった。アタシは、一旦テープとメモをケースへ戻して腰を上げ、静かにシャッターを下ろすと、真っ暗な店内をカウンターまで進み、デスクライトを点して、そこへカセットテープを残し、シャワーを浴びに住居の方へと向かった。
頭の天辺からシャワーに打たれながら、アタシは気もそぞろだった。カセットテープの送り主は、JKに違いなかったからだ……。
気付くと、浴槽へ座りこんでいたアタシだったが、その時にはアソコを両指で虐めていた。すぐに、シャワーの音に拮抗するぐらいのイヤらしい音を発していたアタシだったが、まったり瞑った両瞼の裏側から紙片の言葉が薄れはしても消え去ることはなかった。

‛あなただけが、なにも得てないから……これ‚

アタシは、ベッドに横たわりながら、クローゼットから引っ張り出したカセット・ウォークマンに件のテープを装填して、ただそれを聴いていた。オート・リバースで繰り返し――

A面
1 ザ・プリテンダー/フー・ファイターズ
2 スウィート・チャイルド・オブ・マイン/ガンズ・アンド・ローゼズ
3 サフラジェット・シティ/デヴィッド・ボウイ
4 ラヴ・イズ・ザ・ドラッグ/ロキシー・ミュージック
5 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカ・バンド
B面
1 ムーブ・アウェイ/カルチャー・クラブ
2 モダン・ラブ/デヴィッド・ボウイ
3 トゥ・マッチ・ブラッド/ザ・ローリング・ストーンズ
4 92年式スバル/ファウンテインズ・オブ・ウェイン
5 ファッキン・イン・ザ・ブッシーズ/オアシス

一体、この選曲に、どんな意味があるのだろうか? いや、きっと意味なんてないに違いない! いや……。

‛あなただけが、なにも得てないから……これ‚

「くそったれ!!」
音源は全てCDのそれだった……。
終わり

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