セックス、トラック&ロックンロール・3枚の埼玉のLP …2
狙ったわけじゃないのだろうが、力の抜けた背中への愛撫は結果として絶妙かつ微妙なタッチでヤバかった。まさかとは思うけれど、放っておいたらこっちまでメスを解禁してしまいそうだ。第一アタシはウリに来てんじゃないんだって!
瓜売りが瓜売りに来て瓜売り残し……、嗚呼なに言ってんだよ、チクショー! 結局薬局騙し討ちじゃない⁉ 気に入らないんだよねぇ、そーいうのッ!
アタシは白髪頭を抱っこするまま立ちあがるや、額へ軽い頭突きを食らわせ、怯んだところで廊下へ放り捨ててやった。ドテッという音を立てて仰向けに転がった男は、泣きも喚きも呻きもせずにジッと天井を見据えている……。
しばしドテッという音の余韻に支配されていたアタシは白髪頭に同情しかけたものの、次の瞬間にはそれを後悔していた。なぜなら意外にもプッと吹き出した白髪頭が上体を起こし掛けたからだ。
アタシはいつしかポケットのなかのスタンガンを握り締めて待ち受けていた。すると、ようやくのこと上体を起こした白髪頭は、まるで老いた首が軋んででもいるかのようなスピードでアタシへ顔を向けると、その表情はニヤついており、それでいてどこか遠くを見る眼つきだった。
アタシは少々動揺したものの、兎にも角にも初めてしっかりと男の顔を拝むことが出来た。もっともその顔に思い当たる節はなかったし、その表情はやはり病人のそれだった。
と、白髪頭がふっと我に返ったようだった。なぜなら、その視線がアタシの視線にロックオンしたからだ。アタシは機先を制して主導権を握ろうと思ったが、白髪頭に先を越されてしまった。男がアタシに頷き掛けてきたのだ。
なんだよ? どーゆー意味だよッ⁉
意味不明なのが怖かったが、それを押し殺してそもそも論をぶつけてやった。
「アンタ、アタシのなんなのさ⁉」
「……イイ女になったよなぁ」
そう言った男はアタシの頭の天辺から爪先までその視線を這わせた。アタシの身体はその視線の動きにつれて上から下へと微弱な電流が走った気がした……。
「あのさ、覚えてないけど。それとさ、そういうことだったらさ、もうやってないんだよ、ウリ。ごめん」
アタシはそう言ってからハッとして追伸した。
「いや、撤回!」
「ハァ?」
「ごめんは撤回!」
白髪頭はふっと笑むとこう言った。
「ごあいさつだな、随分。ま、もう6、7年前のことだしな。オレは忘れてないよ、お前の匂い。けど、イイ感じで熟成してきたようだな、サキ……」
そう言い終えると白髪頭は押し黙り、やがて項垂れていった……。アタシには男の存在感が薄まっていき、廊下の奥の暗闇へと同化していくように感じられたが、にもかかわらずこちらにまで迫ってきそうなその闇のただならぬさにたじろぎそうだった。今度こそ撤収を決意したアタシは、レコードバッグのファスナーを開いた。と、いきなり白髪頭がついに本格的に吹き出し始めた。ビクッとして顔を向けたアタシへ、遅れて顔を向けた白髪頭は笑いを押し殺しながら、こう言った。
「だってさ、オレと違ってアッチはさ……」
迸る哄笑に言葉は途切れ、そのうちに再び項垂れると白髪の男の言うアッチを見据えながら静かになった。
アタシも取り敢えずアッチへ視線を送った、取り敢えず。そして、そこにはやっぱり膨らんだ白髪頭の股間があった。勿論、そうしたのは他の誰でもなくアタシなんだけれど、こればかりは仕方がない。それこそDNAの為せる業ってヤツだし、ある意味で罪作りな女なのだ。そう、ティーンの頃からずっとね。
JK時代にドロップアウトしたアタシは、それから数年をストリートで生き抜いた。だいたい物心ついた頃には自分が男たちから欲望混じりの視線でもって見られる存在だと気付いてしまったし、成長するに従って顔立ちも身体つきも俗に言う男好きするってやつなのだなと自覚も出来たし、その時からは少し遅れてだけれど、アタシ自身がそういう事からもたらされる有形無形の喜びにどっぷり溺れることの楽しさを全身で知ってしまい、やがて知り抜き、気が付けば間近に溺死が迫るところまで深みにハマった次第だった。
でもそんなアタシを救い上げてくれたのが店のオーナーのリョウ兄さんとそのパートナーのルミ姉さんの二人だった。リョウはロックを齧っていたアタシに仕事を仕込み、大胆にも店を委ね、ありがたいことにそこへ住まわせ、時には彼自身も関わっているグレイゾーンの仕事をもアタシに廻してくれた。実際、赤羽へのパッケージ業務もグレイゾーン絡みだった。
で、リョウ兄さんはと言えば、潜りの映画上映スペースを嬉々として運営していた。確か、今日は上映会のはずだ。プログラムはなんだっけ? 今日もごった煮の三本立てだったのは覚えているんだけど。
ところでそのグレイゾーン業務の発注元こそ、アタシが溺死寸前にまで追い込まれた出来事に深く関わっていたのだけれど、それはまた別の話だ。
「アタシは、もうそう長くはないんだ……」
白髪の男の声でハッと我に返ったアタシは慌てて声の方へ顔を向けた。すると意外にも白髪の男はその場に立ち上がっており、その手で手摺を握って細過ぎる身体を支えていた。
「……そう」
間抜けなレスを返してしまったアタシに構わず白髪の男はこうレスった。
「2,800円だろ。ちょっと待ってて」
「……ええ」
白髪の男は廊下の奥へと手摺を頼りにそろそろ進んだ。真っ暗闇に髪の白だけが映えた頃、プイッと左手へ姿を消した。
しばらく真っ暗闇を見据えていたアタシは、おもむろに背を向けて上がり框へと腰を下ろすと、レコードバッグから3枚のLPを取り出した。
『ダーク・ホース/ジョージ・ハリスン』
『ハートブレイカー/フリー』
『グリーン・リバー/CCR』
特にUS、UKオリジナル盤にこだわるわけでもなく、聴ければ構わないという電話での話だったから3枚合わせても大した値段じゃなかった。しかしさ、行きの道中でCCRを掛けたのはなんの因果なのかぁ……。確かに昨日の晩に店で3枚のLPを棚から抜き出していた時、ふと久しぶりにCCRを聴いてみようかなモードにはなっていたけれども、あのままダイアー・ストレイツでもよかったのに……。
「……⁉」
と、アタシの脳裏でなにかが芽吹きかけていた。
「すまん。待たせたな……」
離れた背後から張りの無い声がアタシへ届き、その芽吹きだしていたなにかを押し止めてしまった。
チクショウ!
そう心で独り言ちたアタシはそろそろいう足音をBGMに腰を上げると、3枚のLPを手に男へと向き直っていったが、その動作のさなか足下に杖が残っていたのに気付いた。と、向き直ったアタシの視界には白だけが映えている。そこにさっきは気付かなかったが、ミシミシと床が軋む音が被っている。視界には徐々に首から下が、続いてネルの寝間着が見えてきた。なんだか、映画館に居るみたいな心持ちだ……。
が、先ずは左右の爪先が背後へ流れ、続いて左右の膝が前後して宙に浮き、支えを失って倒れ始めた上半身を上回る速さで顔面が廊下へと急ぎ、激しい衝撃音を抑え込むように全身が沈んでいった後、最後に手摺を握り締めていたその手がハラリと滑り落ちた。まるでスローモーションだった。それもペキンパーより、デ・パルマより、ゴダールっぽいそれ……、なんて頭の隅で考えながらデザートブーツのまま白髪の男へと駆け寄っていた。
もっともアタシの駆け寄る姿の方はさながらデ・パルマのスローだったと思う……。で、駆け寄ったものの、未だにこれはこの白髪の男のブラフなんじゃないのかって一抹の不安が拭えずにいた。一瞬、ううん数秒のためらいの後、アタシは意を決し白髪の男の前方へしゃがみ込むと、しばし様子を窺ってからこう言った。
「……要る、助け?」
「要らない——」
to be continue
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