セックス、トラック&ロックンロール・ヘヴィー・メタル・キッス…4
アタシが切り盛りする中古レコード屋、ロスト&ファウンドから徒歩10分程、早稲田通り沿いの脇道を曲がってすぐの所にその古びた4階建のビルはある。一戸建ての跡地に建てたと思われる、こじんまりした、まぁアパートに毛が生えた程度のものではあるんだけれど、しかし地下も含めて実際は見た目とは裏腹なビルだったりする。
あれっきりピタッとエロ電話は止み、ようやく店の営業を再開して数日が経った頃、ほとんど社会復帰を果たしたと思われるアタシは、すっかり足が遠退いていたオーナー夫妻のアジトかつ住居でもあるそこへ顔を出そうと20時少し前に店を出た。
交差点で信号待ちをしていると、ウォークマンから“ラヴ・ボート・キャプテン”が流れだした……。
『パール・ジャム/ライオット・アクト』
この曲はいつもアタシを落ち着かせてくれる。アタシはイイ感じで交差点を渡り、曲が終わる頃には件のビル、吉川ビルへと到着していた。
いつものように1階の駐車場にはシャッターが下ろされていた。アタシは正面左側の入り口から建物へと入り、すぐに始まる薄暗く細い階段を上って2階の廊下へと向かった。 2つある扉の手前側に立つと、玄関ドアの貼り紙が眼に止まった。どうやら、映画の上映中。そういえば上映作品お知らせメールが着ていたような気がする。その貼り紙には本日のブログラムが記されていた。
『二人の恋人』 13時 『マイアミ・ブルース』 16時
『古城の亡霊』 19時
上映メディアは、それぞれDVD—R、VHS、DVDだそうだ。言うまでもないけれど、ここはもぐりの映画館で、画質やら音質やらなどには目もくれない常連さんとその周辺にいる映画獣たちが、趣味趣向の範疇を超えて、一つ屋根の下に集まって肩を寄せ合い、上映時間を共有することのみが、マニアのサガたる唯我独尊にまみれた孤独から逃れられる唯一の術だと知りぬいた連中のシェルターとして機能し、彼らから一本500円を徴収することで彼らのプライドをもまたキープすることに寄与する、必要悪とも呼ぶべき場所だった。もっとも、それだけで存続を維持出来るわけもなく、このビルに暮らす男女の履歴ともども表よりも豊かな裏があった。
で、ほとんど映画ファンの成れの果てみたいなこういう施設を運営しているのが、件の男女の片割れで、アタシの店のオーナーにして保護者気取りな兄貴分、坂口リョウってわけ。
『古城の亡霊』は未見だったし、ロジャー・コーマン作品なら是非ともってところではあるけれど、スマホを取り出し時間を確かめると既に20分近くが経過していた。
「どうするかなぁ……」
と、手前から二つ目の奥の部屋のドアが開き、ルミ姉さんが現れた。1ヶ月ぶりぐらいに見るルミ姉さんの髪はパツキン、アタシに似た切れ長の目は真っ黒なラインで縁取られ、そのぽってりした深紅の唇にはあざとくグロスがまぶされもし、黒地にチョークストライプのジャケパン上下で決めたその全身からは、むせ返るほどのフェロモンが発散され、流石に産まれながらにAV女優と噂された過去を持つだけのことはあった。
「……アタシ、出直す。じゃぁ、また」
「いいから、入りなよ。まだ時間ある」
どうしようかと迷っているアタシに、ルミ姉さんは玄関ドアを大きく開いてから頷いてみせた。なんとなくつられて頷き返したアタシ。ドアを支えるルミ姉さんの脇から室内へと入り込んだ。すれ違いざま、ルミ姉さんのフェロモン混じりの香水が鼻腔から肺へと流れ込んだ。背後で静かにドアが閉まった。消されていた室内灯がふっと点灯した……。
またもや、すっかり忘れていたが今晩はあの日なのだ。
これから、ルミ姉さんはローンの支払いへ出向くのだ。愛する男との生活拠点たる、この4階建てビルのローンの支払いへ。
雷鳴の音が漏れ響いてきた。勿論、天気じゃなくて、隣の部屋で上映中の『古城の亡霊』のサウンドだ。仕切りの壁で仕切られたこちらとあちらは、玄関近くのスライドドアで繋がっていて、つまり劇場とラウンジの間柄だった。こちら側には仕切りを背にした向かいの窓際にカウンターとストゥールが設えられ、その上には全自動のコーヒーメーカーが、窓際の隅には小型の冷蔵庫も用意されていて、中にはたいてい缶ビールにサンドウィッチが用意されていた。またフローリングのフロアには質素だけれど座り心地の良いソファーが適当な間隔で並んでいた。
アタシたちは並んでストゥールに腰かけた。これまでどれだけこうした時間を積み重ねてきたのだろう。 アタシの前にはルミ姉さんの淹れてくれたコーヒー。 一方、隣に座るルミ姉さんは、正面の窓から向かいのビルの壁をジーッと見据えていた。見るべきモノは何もないのに。
「姉さんさぁ、どんぐらいあるの、時間?」
「ん……そーねぇ、まだ30分ぐらいは。それよりアンタ、何してたのよ? ケータイ出ないしさ、またなんかトラブってんじゃないのかって話してたのよ、うちら」
「ソーリー。軽くヒッキーしててさ、もういいんだ」
「サキ?」
「何ぃ?」
「アンタ、いくつになった?」
知っているはずのことを敢えて訊ねる……、人にはそんな晩もあるし、胸の中に渦巻くモヤモヤした何かの行き場としてアタシが期待されている、そんなキッカケとしての問いかけ、ようするにそれはそういう意味合いなんだろうと判断した。アタシはそのさりげない姉さんの意を汲んだ。
「……知ってる癖にぃ」
ルミ姉さんはフンッと鼻を鳴らすと、アタシへ顔を向けた。
「アタシは43」
モヤモヤが放たれた、アタシへ。勿論それでいいのだ、アタシだからこそルミ姉さんはそれを放ったのだから。
そうアタシがアタシだからこそ故に。
もっとも、その問いかけを無駄にしないには、どんな返答をしてみせるのか、それにかかってはいるのは謂うまでもない。
そこで、アタシもルミ姉さんへ顔を向けた。小津なら、ここから切り返しが始まる、そんな場面だろう。で、何を言うべきか考えた……。
〝アタシは43〟
この言葉の背景には、無期限のローンやら目こぼし料やらを自分はいつまで払い続けることが出来るのか、なにせそれは自らの肉体で支払われているのだし、いつまで過去の余禄で食い繫げるのか、そのリミットがそろそろ射程の範囲内にチラチラし始めた、つまりはそういう意味合いが含まれているに違いなかった……。
続く
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