流し台。
17:00 少し手に余る大きさの液晶画面の左上に無機質に表示されているのは現在時刻だった。腰掛けたベッドから立ち上がる。動画投稿サイトでお気に入りの投稿主がカバーしているお気に入りの曲を探していた。カバーしている人が少ないからすぐに見つかった。同じ曲のカバー動画の中でも再生数が頭一つ抜けていた。最近不調のWi-Fiが生み出すもどかしい読み込み時間の間に台所へと移動した。
6畳1K築16年のこのアパートは外見は築年数の割にぼろいが中は築年数より綺麗だった。水回りも玄関もフローリングも非常に状態が良かったが1つだけ気に食わないことがあった。それは安物のスキニーパンツの上に乗っているハイブランドのロゴのバックルのように部屋の雰囲気から完全に浮いている流し台だった。時代錯誤というかハイカラになり切れなかったというか、とにかく奇をてらおうとして外したような真っ赤な流し台だった。6時からの友人との待ち合わせの前に流し台に溜まっている洗い物を片付けようとはっきり言ってダサいその流し台の前に立った。
蛇口のレバーを上に跳ね上げ給湯器が仕事をするのを待った。その間にようやく動画が再生され始めた。静か目な曲調に対してアンバランスなしゃがれ声が癖になる。動画に合わせて口ずさみながらスポンジに知育菓子のような色の洗剤を垂らした。ぼろぼろのスポンジを握り泡をたてながらそろそろ買い替えようと思った。油モノの前にフレンチプレスを洗おうと手を伸ばしながら今日の待ち合わせのことについて考え始めた。待ち合わせは少し先の駅だ。電車で向かう。家から最寄り駅は少し遠い。近くには有料の駐輪場しかないから歩きで向かうとすると、食器を拭き上げる時間はないことになる。食器は帰ってきてから拭くことにしよう。フレンチプレスの網目に挟まった茶葉と格闘しつつそんな結論にたどり着いた時、ふと電話のことを思い出した。
今日会うことになっている友達とは付き合いが長い。数々のかっこ悪い出来事から珍しくかっこよかった出来事までほぼ全てを共有していた。家族くらい親しいと言ってもいい。なぜ仲良くなったかは全く覚えていないが仲のいい友人なんてそんなもんだろう。数日前に今日の予定を立てるために電話をした。その時結婚式の話をした。成人を超えたあたりからそんな予定もないのにまだ見ぬ家族の話をするようになっていた。結婚式ではこんな余興があったら楽しそうだ、誰を呼んだらいいだろうかなんて話をした。
そんな電話のことを思いながら家族について考えていた。両親に取って自分は一体どんな子供なのだろうか、両親も自分と同じようにいくつかの恋をした後結婚したのだろうか、どんな家庭をどんな生活を望んでいたのだろうか。思い返せば両親に何かを要求することはあったが両親が要求してくることはなかった。両親は理想の家庭を考えなかったのだろうか、それとも全てに満足していたのだろうか。考えれば考えるほど可能性は溢れだす上に答えから遠ざかっている気がする。両親のことを考えるのはよそう。菜箸の先端をよく擦りながら自分のことを考えた。
どこかで素敵な人に出会い、生活を共にする。その内に将来も共にいることを望み、子を為すのであろうか。案外独身か?ここまで考えてはっきりしたことがあった。家族を作るのは選択だということだ。子供は親を選べず、親も子供を選べない。しかし、伴侶だけは選べるということだ。唯一選べる家族だ。また自分も選ばれる立場であるのだ。お互いが尊敬しあって家族になると決めて人は家庭を持つのだ。唯一選べる家族は血で決まるのではなく意思によって決まるのだ。
ここまで来て洗い物はもう終盤だった。油まみれのフライパンのためにスポンジに洗剤を足した。柄にもなく小難しいことを考え付いた自分に戸惑ったせいか洗剤を出しすぎた。血や意思なんてことを思いついたのはきっと金曜ロードショーで眼鏡の魔法使いの話でも観たからだろう。こんな熱いこと考えるのはらしくない。気持ちが落ち着いた後は油汚れより洗剤を落とす方が大変だった。ギシギシになった手を拭いた後丁寧に積み上げた洗い物と何回見ても気に入らない流し台を横目に部屋へ戻った。
17:13 少し手に余る大きさの液晶画面の左上に無機質に表示されているのは現在時刻だった。考え事のせいで途中から聴いていなかった動画投稿サイトの画面が次の操作を待っている。それを無視して画面を切った。古着屋で買ったばかりのジャケットに袖を通し時計を選んだ。友達にさっきの考え事を話したらどんな顔をするか想像しながら玄関へと向かった。まだ地に片足しかついていないような不安定で、しかし不思議と満たされた気分でドアを開けると外気が湿っていた手の水分を奪い去った。
17:25 ポケットの中で一人でについた液晶画面の左上に無機質に表示されているのは現在時刻だった。