キリスト教って他の宗教と比べて簡単に信徒になれないものだと思った。
私は今はクリスチャンですが、若い時に洗礼を受けた時は聖書の教えを全く理解できていませんでした。
いや、頭では分かっていたんです。
でも自分の身近なこととして受け取れていませんでした。
だってユダヤ人て何人なのよ?
会ったことないよ。
アメリカ人とか、イギリス人とかは分かりやすい。イメージしやすいけど、ユダヤ人てあんまりイメージ湧かなかった。
2000年以上昔の話をされて、現代の自分に当てはめた時、あまり当てはまらないような気がしていた。頭で分かっても、心で、魂で理解してなかった。やっぱり聖霊の働きが重要なのだと思う。イエス様を信じるには。
それでも私は信じていると思っていた。
聖書の神様が好きだった。
イエス様が好きだった。
救ってくれたと信じたかった。
なので、洗礼を受けた。
でも、やはり
聖書と自分を重ねて考える事が出来ていなくて、みんな本当に信じてるのだろうか?
「祈る」ってどんな感じなの?
形だけマネしてる感でやっていた。
なんか本当は分かってないってバレるのが怖くてちょっと無理してた。
他の宗教だったら、ハイあなた信じますね?
じゃあ加入しましょうね。
ハイ申込書ですよ。
って感じですぐなれるのかな?と思った。
全然知らないのに言っちゃいけないけど。
違ったらごめんなさい。
言いたかったのは、キリスト教徒は、本当に確信が持てないと祈れないし、奉仕出来ない。
人間的な外面的にマネするだけではなかなか出来ないと思った。
以前は私の家は浄土真宗だったので、
その時の私は、仏教は信じてなくてもマネしてるだけで何も問題なかった。
そもそもちゃんと信じてる人は少ないと思う。
とりあえず家族がみんなそうだからそうしてるだけなんじゃないかと。
キリスト教徒は信じてるフリっていうのが通用しないと思う。祈ったり、意見や感想を求められる場面も多くてなんとなく合わせて信じてるフリをするっていうのは難しい。
でも逆を言えば
心から信じてる人の証は他の人にも伝わるってことかな。
心から信じてる人の祈りはノンクリスチャンからしても「この人は本当に信じてるんだな」と伝わるのかも。
普段からそのような証をしていきたいと思いました。