【連載1/5】「融合の詩篇 エヴァンゲリオンに宿る聖書の魂」
1. 初めの言葉 神話との邂逅
新しい連載が始まるんや。
タイトルは、「融合の詩篇 エヴァンゲリオンに宿る聖書の魂」。このシリーズで、エヴァンゲリオンとキリスト教の不思議で深い繋がりについて、一緒に考えていきたいと思ってるんや。
まずは、エヴァンゲリオンとキリスト教、この二つがどう繋がってるか、興味深いやろ?エヴァンゲリオンって言うと、巨大なロボットが地球を襲う謎の敵、使徒と戦う話やんな。でもこの物語、一見するとただのSFやけど、実はキリスト教の教えや神話がふんだんに織り交ぜられてるんやで。
「初めの言葉 - 神話との邂逅」というこの章で、わいらはその最初の一歩を踏み出そうと思ってる。なんでエヴァンゲリオンにキリスト教のモチーフが使われてるのか、その理由から探ってみようと思うんや。
エヴァンゲリオンの世界において、「使徒」という言葉は、聖書の中の使徒とはちょっと違った存在を指している。でも、この「使徒」という名前自体が、キリスト教の影響を感じさせるやろ?これはエヴァンゲリオンがただのアニメじゃなく、もっと深いメッセージを持っていることを示してるんや。
「神は愛である。」
この言葉は、キリスト教の根底にある教えや。エヴァンゲリオンの中で、登場人物たちがお互いにどう関わり合い、時には衝突しながらも、最終的には何かを乗り越えようとする姿は、この「愛」の概念を色々な形で問い直してるように思えるんや。
さらに、エヴァンゲリオンの世界観や物語の構造自体にも、キリスト教の教えや神話が色濃く反映されている。たとえば、「セカンドインパクト」や「サードインパクト」といった用語は、聖書の黙示録を思わせる。これらの出来事は、人類にとっての終末をもたらすかのような大災害やけど、同時に新たな始まり、つまり再生や救済の機会をも象徴してるんや。
この連載では、エヴァンゲリオンとキリスト教の用語や象徴がどう絡み合い、物語やキャラクターにどんな意味を加えているのかを、一つ一つ丁寧に掘り下げていきたいと思ってる。キリスト教の象徴や教えが、エヴァンゲリオンの物語やキャラクターの行動、心理にどう影響を与えているのか、その深いつながりを探っていくんや。
たとえば、エヴァンゲリオンの主人公、碇シンジくんの苦悩や成長の物語を見てみよう。シンジくんの旅は、自己発見と自己受容の旅や。これはキリスト教の「自己を知ること」や「自己を超える愛」に通じるものがある。シンジくんが直面する試練は、彼が自分自身や他者とどう向き合うか、そしてどう愛するかを問うものや。
また、エヴァンゲリオンにおける「使徒」との戦いは、外面的な戦いだけやない。それは内面的な戦い、つまり自分自身の内にある恐怖や絶望との戦いを象徴している。これもまた、キリスト教が教える「内面の平和を求める旅」に似てるんや。
この連載では、そういったエヴァンゲリオンの物語の中に散りばめられた、キリスト教の教えや象徴を深く掘り下げていきたいんや。エヴァンゲリオンの登場人物たちが直面する精神的な葛藤や、彼らが最終的に辿り着く救済の形が、キリスト教の教えとどう重なるのか、どう異なるのかを見ていくで。
さらに、エヴァンゲリオンとキリスト教の教えがどう融合し、新たな解釈やメッセージを生み出しているのかも探っていきたい。このアニメがなぜ多くの人々を魅了し続け、深い思索を促すのか、その理由の一端をキリスト教の視点から解き明かしていくんや。
それじゃあ、みんながエヴァンゲリオンを見る時、新しい目で、新しい心で、物語やキャラクターに接することができるように、この連載を通じていろんな発見や考察を共有していきたいと思ってるんや。
次回からは、具体的なキリスト教の用語や象徴、そしてそれらがエヴァンゲリオンの中でどう機能しているのかを、一つ一つじっくりと見ていくで。エヴァンゲリオンと聖書の魂がどう融合し、どんな新しい物語を紡いでいるのか、一緒に探ってみようやないか。
それでは、次回をお楽しみに!
ここから先は
サポートしてくれる人は、どんな小さいことでもええねん。記事をシェアしてくれたり、感想を送ってくれたり、寄付してくれるのもありがたいで。これからもみんなと一緒に、愛と慰めのメッセージを広めていくつもりや。 心から感謝してるで。 じーざす