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憧れの地上人生を生きる

ある段階以上に進化すると、憎しみを抱かなくなります。愛のみを抱くようになります。苦を感じず、幸せばかりを感じるようになります。難しいことですが、しかし真実です。苦しみを何とも思わない段階まで到達すると、いかなる環境にも影響されなくなります。

『シルバーバーチの霊訓(6)』

『シルバーバーチの霊訓』から受ける印象というのは、自分の理解度によってどんどん変化していくものだと感じています。“わかっていたつもりで、全くわかっていなかった”。それを死ぬまで、いえ永遠に、繰り返すのだと理解しています。

冒頭に挙げたのは、苦しみに対するシルバーバーチの言葉です。最近になって、この言葉から受ける印象が変化していたことに気づきました。

なぜだろうと考えてみると、理由はひとつしかなく、6月に行われた集中講義で、“苦しみの甘受”の理解が深まったからでした。
「霊界に行ってから、地上でするような訓練をしたいと思ってもできません。今この場に来ている多くの霊たちは、羨望の眼差しで皆を見ていますよ」
講師の方が静かにおっしゃった言葉は、私の心に深く刺さりました。

醜い感情が渦巻くこんな私を、霊たちは羨望の眼差しで見てくれているのか――。集中講義の帰り道、人であふれかえる商店街を歩きながら、私のことを見つめているであろう霊たちの視線を想像していました。

私も今回の人生を与えられる前は、地上人を羨ましく見ていたのかな。
この地上で苦しみたくて仕方なかったのかな。

そんなことを考えながら歩いていると、なんだか自分の内面の葛藤や悩みが愛おしく感じられてきたのです。霊界では決して味わうことのできない、利己的な思い、怒り、恐怖。スピリチュアリストなのだからこんな感情を抱いてはいけない、と蓋をしていたものが、無性に愛おしく、ありがたく思えてきて、“ああ、私はこの葛藤を味わいに来たんだ。そのために再生を願い出たのだ”と、じんわり温かな気持ちを噛み締めながら、帰路についたのでした。

信仰実践は、苦しみの連続です。自分の醜さをうんざりするほど見せつけられます。利己的な自分にほとほと嫌気がさし、疲れ果てることもしばしばです。

ですが、肉体があるから気づいていないだけで、より大きな意識の私は、この葛藤さえも最高に喜んでいたんじゃないか。地上でしか味わえない、かけがえのない体験に歓喜していたんじゃないか。そう気づいたのです。

高級霊にとっては鬱陶しく陰気な地上世界でも、再生が必要な段階の私にとっては、経験したくてたまらなかった魅力的な世界です。信仰実践で葛藤するたびに、本当の私は成長できることを大喜びしていたのです。

冒頭のシルバーバーチの言葉を読み返すと、これまでの私は、苦しみにばかり意識を向けていたように思います。そのため、苦しみが湧くたびに自分を責め、余計に落ち込んでいたのでした。

そうではなくて、今すでに大きな意識の私が感じている“喜び”を強くしていく。喜びが膨らんだ結果として、苦しみは小さなものになっていくのだ、と考えるようになりました。苦しみにフォーカスするのではなく、喜びにフォーカスしていこう、と考えるようになりました。

6月の集中講義を終えてからというもの、苦しみを抱いたときは、私を見てくれているだろう霊たちを想像して、「どう?羨ましいでしょう?」とちょっと意地悪に話しかけます。それだけで、地上で信仰実践ができる喜びを思い出し、苦しい気持ちが和らぎます。ちょっぴり楽しくなって、よし!と前向きになってくるから不思議です。

私は今、再生したくてたまらなかった、憧れの地上人生を生きています。ただひたすら喜びを抱いて、歩んでいきたいと思っています。