父の爪切り
年末年始、私は5年ぶりに帰省をした。
5年間帰らなかったのは、新型コロナという大義名分があったからかもしれないが、私には地元に帰ることで過去の記憶が蘇り辛くなるという理由があった。
母とは何度か会っていたものの、父と会ったのは2019年の12月。その時は些細なことで喧嘩になり、ろくに口もきかないまま東京に帰ってしまった。
その間にコロナがあり、父は体調を崩した。
今回5年ぶりに帰ろうと思ったのは、もしかしたら5年前の喧嘩のわだかまりを解消しないまま、最期の別れになるのは嫌だと思ったから。
こんなふうに書いてしまうと、「不治の病なのでは?」とご心配される方がいるかもしれないのでどうか安心して欲しい。
父は相変わらず憎まれ口は叩くし、体調は崩したが若い頃から元気に働いていて(体力の)貯金があったのか、意外と元気だった。
もうすぐ50の娘だったとしても私の帰省は明らかに嬉しそうだったし、5年前の喧嘩のことなど覚えていないようだった。
年末だっただろうか。
父がポツポツと手の爪切りをしていた。病気のため朝は痛みがあり、爪切りをする手が震えていた。
「爪、切ってあげようか?」
思わず私が言うと、父は私に爪切りを渡し、手を差し出した。こんなことを娘に頼むような人ではなかったけど、爪切りも大変なほど力が入らないだろう。
以前介護施設で美容ケアを専門に仕事をしていたので、人の爪切りは私にとって朝飯前だ。父の手は75歳を過ぎても働いてきた人の手。ゴツゴツしていて、カサカサしている。
パチン、パチン、と爪切りの音だけが部屋に響く。
「年の割に綺麗な爪をしてるよ。」とその手を褒めてあげた。
あまりにカサカサしているので、持っていた保湿クリームを手のひらに乗せてあげた。これまで男女問わずたくさんの方の手にクリームを刷り込んできたが、父だとなんだか恥ずかしかったから自分でつけてもらった。
こんなことを父にしてあげられるのはあと何回あるのだろう。
来年も帰ってくると信じている父に、「これが最後だよ。」と冷たく言ってしまった私。傷つけてしまったとすぐに後悔した。
私にとって地元はやっぱり辛い場所だったし、できれば帰りたくない場所だった。父に本当の理由を話したことがないが、きっと気がついているはずだ。
医療者の端くれとして、食事や日常生活で気をつけて欲しいことはたくさんある。だがそれをうるさく言ったとして何になる?
朴訥とした父らしさや、父の楽しみ、父が望む最期を尊重してあげられるように、娘として陰ながらサポートしてあげることしか私にはできない。その人らしさを尊重するというのは人に言うのは簡単だが、いざ家族のこととなると、とても難しい。
父の硬い爪を切りながら、北陸のどんよりとした空から差した太陽の光が一筋、私と父を照らしていた。
この5年間を溶かすような優しい光だった。