自分を美しいと思う瞬間
皆さんは「自分が美しい」と思うことはあるだろうか?
僭越ながら私は毎日のようにその瞬間がある。
「げっ!?お前その顔で!?」と、私の実物を知っている人なら思うかもしれない。
この人ナルシストなんじゃね?プププ・・・と笑っている人もいるかもしれない。
しかし、「私、今日綺麗だなぁ」と思う瞬間が確実に毎日ある。
20代の頃、自転車に乗った少年たちから通りすがりに「ブス!」と罵られた私であっても、今の私は美しい。
髪が今日はツヤツヤだ〜とか、肌がもちもちで綺麗だとか、腹斜筋がついてきて体が締まってきたとか、笑顔がいいね!とか、姿勢が良くなった!とか、TXTの歌を韓国語で歌えるようになった自分、なんかいいじゃん!、横顔綺麗ー!眉毛いい感じ!、今日のコーディネイト好き!など、何でもいい。
今日も幸せだ、というのもいいね。
そんな具合で自分の美しいところを見つけている。
それは他人の価値基準ではなく、私基準の美しさだからだ。
2010年に公開された「プレシャス」という映画をご存知だろうか。
ニューヨークのハーレムに住む少女・プレシャスは、母親から肉体的・精神的虐待を受け、父親からは性的虐待を受けて育つ。しかも2度も父親の子供を妊娠し、出産。父親がAIDSで亡くなったことをきっかけに、自身もHIVに感染していたことを知る。
過酷な状況の中でも、1人の女性教師との出逢いを通して希望を見出していく物語だ。
内容はかなりハードで、みているととても辛くなる。母親役にモニーク、ソーシャルワーカー役でマライア・キャリー、レニークラヴィッツが看護師役という脇役陣がすごい映画でもある。
そしてこの映画の主役を務めたのが、ガボレイ・シディベという新人の女優だった。
彼女のWikipediaから写真をご覧になれます
映画での暗く、過酷な人生を背負う女性とは裏腹に、実生活ではとても明るくチャーミングな女性なのだなぁと、いくつかのインタビュー記事で知った。
その彼女が言った言葉が、
ある時私は
自分を美しいと決めたの
である。
インタビューなのかなんだか忘れたが、衝撃的だった。
彼女は世間が美しいと思う、痩せていてスタイル抜群!からは程遠いのかもしれない。それでもきれいだなぁ!輝いてるな!と他者が思うのは、「自分が美しい」と自信を持っているからだろうなと思った。
この言葉は数年前から知っていて、何度も何度もブログに書いている。その時は「自分を美しいと思おう」と決意するのだが、しばらくすると「私ってなんて醜いんだ、ブス」と逆戻りしていた。(酷いもんです…)
しかし40代を過ぎ、自分の中に変化があった。
年の功なのか、いろいろなものが気にならなくなったからなのか、はたまた目が悪くなって余計なものが見えなくなってきたのか笑。
今って自分史上、最高じゃん!?
と、この半年で超ポジティブになっていることに気がついた。
それを決めるのは他人ではなく自分自身。
これまでどれだけ他人基準の美に翻弄されてきたことか…。
若い頃に戻りたいかと聞かれれば、絶対にNO!と答える。今が一番いい。
他人と比べて苦しくなったりするのはもうおしまい。今は他人と比べられるプラットフォームが多すぎる。
どんな肌の色でも体型でもどんな顔でもどんなファッションでも、自分が綺麗だと思えたらそれが一番。
他人から私の美しさを決められてたまるもんか。
それは私が決める。
日本の謙遜の文化の中で、褒められた時に「ありがとう」というのはなかなか難しいものがある。(お世辞というトラップもあるしね)
これはフランスで学んだことの一つだが、「zoé、めちゃくちゃ今日綺麗」と言われたら「Merci」とありがたく褒め言葉を頂戴すること。
これを18歳のクラスメイトが自然にやっていた笑。彼女の場合は投げキッスのおまけ付き。自分の美しさに自信があって、堂々としていて、それでいて他人に対してもちゃんといいところを褒めてくれる優しさがあった。
私にはなりたい婆さん像というのがあって、そのために現在準備中だ。
もちろん外見だけでなく、内面の成熟もテーマの一つ。
そのためにはまず「自分は美しい」という当たり前のことに立ち返る必要がある。
私の美しさは私だけのもの。^_^
誰かに決められてたまるもんか笑!!
サポートしてくださるとめちゃくちゃ嬉しいです!!