豆腐の話
母によると、私は歩くのも早ければ話し始めるのも非常に早かったらしい。そのくせ肝心のトイレのことは全然言えず、哺乳瓶には結構大きくなるまでお世話になっていた。幼心に「もう哺乳瓶は卒業しなくてはいけないけど手放せない」ことに恥ずかしさがあったのか、カーテンの後ろに隠れてチュッチュ吸っていたとのこと。
そんな幼少期の私が2歳の時、一人で豆腐を買いに行った。
大人の足なら店まで歩いて2、3分。だが2歳の子供でどのくらいかかったのだろうか?
一人で行っていつもの豆腐屋さんに「とうふください。」と言ったらしい。お店の人も私がどこの娘か知っていたのでお豆腐をくれたが、「お金は?」と聞かれて、ない!ときっぱり言い放った。
豆腐屋さんは大きな豆腐を水がパンパンに入ったビニール袋に入れて私に持たせてくれた。
そこから家族に「豆腐買ってきたよ。」と早く言いたいがために一生懸命走った。両手でビニール袋を持ち、家の前で母と祖母の顔が見えた途端に、私はバタンと転んだのである。
豆腐はぐちゃぐちゃに潰れてしまった。私は家族に豆腐を渡せなかったことと、足が痛くてワンワン泣いた。
というのが、私の一番古い記憶である。
母と祖母の「あっ!」とびっくりした顔を今でも鮮明に覚えており、その後母はお店に「すいませんでした。」とお金を払いに行ったらしい。
その転んだ瞬間のことを最近よく思い出す。
ちょっとおせっかいで一人で突っ走って、おしゃべりが好きで、好奇心旺盛なところは今とあんまり変わらないなと思いつつも、その後受ける性被害がなかったら、豆腐を一人で買いに行ったあの子(私)はどんなふうに成長したのだろうと考えて涙が止まらなくなる。
私の被害は避けられなかったのか?
幼かった私には幼少期から10代に受けた性被害が自分では抵抗することもできないことだった。
過去ばかり振り返っていてバカみたいって思うでしょう?
でもそれが性被害のその後を生きるということ。
被害を受けなかった自分に未来で会いたかった。