ひとりだけど ひとりじゃない〜元マテリアルガール 吾唯足知〜
”ゆたかさ”を思うとき
”人から切実に必要とされていて、それを感じられること”というのもひとつ本音だし、
かと思いきや、
過去マテリアルガールだった私の頭によぎったのは
かつて漫画家の西原理恵子さんが国際女性デーにちなんで朝日新聞に寄稿された
「寿司と指輪は自分で買おう」を読んだ時に思った、
”それでもやっぱり指輪は好きなオスからプレゼントされたいし”って気持ちも、
生活を彩ってくれる瞬間の一部だし、
旅先で目にした野花の名前をサラサラ口にして、
目に飛び込んできた風景を俳句や短歌の名作に瞬時に置き換えられる
母親の引き出しの多さも豊かだよなぁと思うし、
と考えていたのですが。
結論、今の気持ちにぴったりなのは、「1人で過ごす時間に思い浮かぶ人がいること」。
なんて言うと、自分で言っておきながら昭和歌謡好きの私は
吐息を白いバラに変えて 会えない日には部屋中に飾りましょう、あなたを想いながらタイムが連想されちゃうのだけれど、
例えば美味しい食事をした時に
「この味をぜひ母親にも味わってほしい、食べさせたい!」とか
「次は彼と一緒に食べに来たいなぁ〜」とか、
対象が誰であっても良いのだけれど、
そんな風に思える相手がいること。
自分がありつけた幸運を、ふとした幸せの瞬間をシェアしたくなる”誰か”の顔が
真っ先に浮かぶこと
これがゆたかさに繋がる気がする。
それは、なにも”幸せはシェアした方が長続きする”という、かの帝王ローランド様のポリシー的なお話だけでなく、
聖人君主みたいな性格の持ち主が崇高で高尚で徳が高いって話でもなくて、
なんてことない日常を共にしてきた相手だからこそ、ちょっとした非日常も一緒に経験したい、噛み締めたいと思える。
そんな相手がいたり、そんな関係性を他人と築いてこられた これまでの時間も含めて かけがえのないゆたかさじゃないかと思う。
仕事にしたってそうだ。
このコロナ禍でリモートワークが進んだ人も多かっただろうし、
そうでなくても出社人数に制限がかかっている職場も少なくないと聞く。
そんな時、かつて自身がゴリゴリの営業部隊のリーダーをしていた時に
メンバーに話していた言葉をふと思い返す。
「営業なんて個人プレーでも出来る職種だけど、あえてチームでやる意味は、
辛い時、これ以上無理って時に、
もし1人だったら”もうこれくらいで良いや”って投げ出したり妥協してしまいそうな場面でも、
”でも皆も頑張ってるから、あともう一歩踏ん張ってみよう”って思えること。
そんな風に思える人間関係を作ることがチームでやる醍醐味だと思うし、
そんなチームになっていきたい」
「1人で生まれてきて、死ぬ時も1人。
人間、苦しい時はいつだって実際に物理的には1人で、
血の繋がってる親でさえ子どものピンチに身代わりにはなれない訳で。
だけど、1人のときに”あいつも頑張ってるなら俺も!”って思える相手がいるって、
それだけで心強いし超パワーになるし救いになると思う」
当時20代の私の、暑苦しい部分が凝縮されている話だけど、
「1人で過ごす時間」が増え、簡単には一堂に会することが困難になり、
「所属コミュニティーとの対面接点数」も少なくなる今の時代こそ、
公私ともに「1人でいる時にも思い浮かぶ相手がいること」は
そんな時間をもゆたかにしてくれる とっておきの秘訣になる気がする。
その相手はもちろん家族でも友人でも、恋人でも良いし、
もしかするとそれが友人の子どもや甥っ子姪っ子、はとこかもしれないし、
ペットでも”推し”の存在でも、画面の向こうの人でも何でも良いと思う。
あなたは誰を心に思い浮かべましたか?