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【呼吸のワーク日記】(2024.12.1)

 今日(12月1日)のオンラインワークショップは前半は参加者2名。

 5年前、フォーカシングの会で先生と知り合ったご縁でワークに参加してくださったときにご一緒して、その後、「声と呼吸の実験」に参加してくださったり、何より、コロナ禍でオンラインでのワークショップを始める時にSkypeやzoomのやり方を一から教えてくださった本当にお世話になったMさんと、私がワークをご一緒したのは久しぶり。

 色々なお話をする中で、「寝る」とか「休む」とかリラックスして力を抜く状態を言葉にすると「〇〇する」という「能動」表現になってしまうということに気づく。

 本当に体が欲する状態が、言語化によって方向性が変わってしまう...。
 
 それはほんの小さな違いのようでいて、実は根本的に違う結果を産むのでは?

 そんな話をしながら、足首を回してみましょうということになる。

 私がこのワークを始めたころ、指導していた方は、半ばルーティンのように、ワークの最初はいつも足首回しだったなあ。

 最初は意味が分からず、「これで合ってる?」と周りの人をチラ見しながら、「正しいやり方」を探していたっけ。

 今はただ足首を回す動きが体のどこと繋がっているかを感じながら楽しむ。

 今日の私はこのところ時々不調を感じる胃のあたりに動きを感じるなあ。ストレートに肩のあたりや頭のてっぺんまで繋がることも多いけど、今日は胃のあたり経由で肩のあたりに行っている。

 左足首を十分に動かして左半身が一回り大きくなったような感覚を味わいながら、右足首へ行こうとするのを体は「ちょっと待って。もう少しこのアンバランス感を楽しみたい」という。

 右をやったら今の左と同じようになるだろうが、その感覚が今の自分にとってなりたいもの、心地よいものではないような気がした。

 何よりもこの左右のアンバランスが体としてはそれはそれで心地よいバランスが保たれているような気がした。

 話しながらしばらく待って、ようやく右をやってもいいかなと思えるようになったので、右足首を回し始める。

 その頃には左半身は落ち着いて軽やかな存在感を持ってそこに在り、右半身の活性を見守っていた。

 そして右半身も十分に繋がって一つの体として落ち着いた。

 そう、左半身が活性化して大きくなった時に、右半身もやり始めたら体がパンパンに空気を詰め込んだ風船のようになる感じがして、それが心地よい状態と思えなかったのだと思い出した。

 体は必ずしも左右対象ではない。むしろ右と左が異なる状態でバランスをとって一体化している状態の方が自然なのだ。

 Mさんが退室してからの後半は、前半での気づきやそこから派生することを話しながらのワーク。

 15時21分に新月を迎えるということを15時25分ごろ思い出して、「あ、しまった、忘れてた!」😁

 月の動きや古来の暦のきめ細かさなどの話も出てきて、自然の営みの中でそこに生きる体の声を「せかさずに」聞きながら生きることも大切だよななどと思う。

 最後のワークで珍しく、「(同じ動きを)少し長く続けてやってみてください」とのオーダーが。

 頭の上で両腕を組んで体全体を回転させるという少し不自然な姿勢を保つそのワークは、何も言われなければすぐに腕を外していただろう。

 少しだけ意識的にそのまま続けていたら、組んだ腕から体の脇のつながりと頭からつながる背骨から骨盤、仙骨や坐骨が互いに協力して体の色々な部分を伸ばしたり、動かしたりしているような感じがしてきた。

 体は一つの共同体。そんなことを改めて感じる。

 このワークを始めた頃のこと、オンラインを始めた時のことを思い出しながら、そこに今の自分の新たな気づきが生まれる。

 12月の始まりの日。新月。大安。そんな日のワークにはきっとふさわしい時間だった。



 



 


 

 

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