心の「見える化」「可視化」ってそんなに必要?
今朝、SNSの広告にこんな記事が飛び込んできました。
心拍数で光るイアリングかあ。
若い人の発想は自由だなあと思うし、それにケチはつけたくない。
ただ、十分おばさん(間に「あ」は入れませんよ😆)の私は、少し前に読んだこんな記事
とか、
リンク元不明(多分どこかの新聞記事だったと思う)なのだけど、
会社で社員を管理するのにウエアラブル端末を着用させて、社員の心拍数やその他のデータを常時リアルタイムで把握している会社がある
という記事を読んだりすると、
どうしてそんなふうに人の内面を可視化したがるのかなあ?って思ってしまいます。
呼吸や体の声を聞くワークをやっていて、体はある意味正直だから、「心理的にある状態になったら心拍数がこのように変化する」というのは当たっているかもしれないけれど、それは「現在の研究ではそう言われている」だけのこと。
ときめく時に心拍数は違う変化をすることもあるし、同じ反応が全く違った状況でも出ることがあるかもしれないし、研究が進んだら全然違う答えが出てくるかもしれないのに。
体ってもっとわからないことだらけだよ。本当に正しいの?という疑問もあるけど、それは別の機会に書くとして、今日のところは「なんでそんなに全てを可視化しないと気が済まないのでしょうか?」
本当はこう思っていても、違う行動をしてはいけないの?
他の人の本当の思いを知らないとそんなに不安?そういうのを見ないと他の人と繋がれないの?
自分が自分の体の本当の声を聞くというのは本当に大切なことだけど、それを他人にそのまま見せなければいけないものではないのでは?
見せたい人が使うのは自由だけど、使うことを強制されたり、「こういう反応が出なければおかしい」「こういう反応をしているからお前は本当はサボっていただろう」
といった管理に使われないようにしてほしいなあ。