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【呼吸のワーク日記】(2024.11.17)

 久しぶりのオンラインワーク。ちゃんと繋がるかどうかドキドキ。

 晴れで暑いほどの「日曜日」の昼下がりの空気は何かのんびりした感じで、ワークにもそのような雰囲気が漂う。

 でもそれは悪いことでは決してなく、ゆっくりと自分の体と対話し、違和感とも向き合いながら、より広く、より深く、焦ることなくワークできる貴重な時間でもあった。

 このところの暑さで体調が落ち気味でもあり、話しながら伸びをしたり、足を伸ばしたりしながらも体がバリバリしているなあと感じる。

 対面であれば自然と向き合って肘の辺りを支えながら背中を伸ばす動きを今身の回りにあるものでやってみる。

 その場にあった背もたれ付きの椅子の背に腕を載せて背中を伸ばす。「水平線か地平線が伸びているような感じでできますか」と言われたことで、一本の線ではなくて背中全面の広がりと指先から仙骨や尾骶骨までのつながりが無限に伸びていく感覚が生まれてきて、元の座位に戻った時の体の感覚が全然違う。

 内臓に呼吸を吐ききった時のリラックスを感じるワークではいつも「その時に自分の中心に立ち上がる力が出てくる」と聞いていたはずなのに、まずは吐くための下に向かう力を感じきった後に坐骨の辺りから立ち昇ってくる力を感じる。

 でも、これでは声は出ないよなあ。あれ?私っていつもどうやって呼吸していた?どうやって声と呼吸を繋げていたんだっけ?とまで思うような感じ。

 その後、どう動きたいかわからないけどなんだか動きたくなって手や足を動かす。
ただその時にも「これだ」という実感をつかめるような動きには辿り着けず、それ以上やっても逆効果にような気もして動きを止める。

 そのことを言葉にしていると、先生から先ほどの「吐ききった時の感覚を味わうワークとその後の「何をしたいかわからないけど動きたい」と思って動いたこととは何か関係があったように感じましたか。」と聞かれる。

 そう言われると、意識していた部分では特に関係はなかったように思えるが、無意識のうちに、前の違和感を消す方法を探しに行ったのかもと思う。

 その後、ワークを開始する時に同じように手を伸ばしたりすることがあるけれど、さっき途中で始めた伸びなどの動きは同じことなのか違うのかを問われ、ある部分は同じだがある部分は違うかもということも言葉にしてみる。

 行動のつながりはその場、その直後の行動だけとは限らない。何日も経って直接関係なさそうに見える行動が実は今やっている動きとつながっているかもしれないといった物事を考える視点の広がり、深まりが、自分だけでやっていたらおそらく辿り着けない、他者と共にワークすることの意味。

 狭く凝り固まりやすい思考の殻を今日は何枚脱ぎ捨てたことだろう。





 


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