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対面ワーク再開

 呼吸のワーク、何と2年9ヶ月ぶりに対面ワークを再開しました。

 他のグループでは個人宅で感染対策をしながら対面ワークを続けていたようなのですが、私は個人的な事情もあってオンラインワークを2週間に1回のペースで続けてきました。

 最後に対面でワークしたのは記録を見ると2020年3月21日。この頃には既にいろいろ方面で危機感が出始めていて、私もそれまでの段階で参加予定だったワークをキャンセルしたり、そうした対応についての意見の相違でワークへの姿勢を批判されたようにも感じていろいろ葛藤もありました。

 その後、試行錯誤のオンラインワークでワークを続けてきました。

 それまでむしろ否定的に捉えていたオンラインでのワークショップもやってみれば思った以上にやれることが多く、むしろオンラインだからできたこともたくさんありました。

 それでもどうしてもオンラインで1人でやっていてはできないこと、自分では触れるのが難しい背中にそっと触れてもらうこと、伸ばした手にほんの少し方向性を示してもらうだけで、伸びる範囲がまた広がるということの実感などをもう一度味わい直したくて、秋頃から何回かに1回で良いから対面ワークを復活できないかと思いはじめていました。

 年末ギリギリになってしまいましたが今日(日付が変わってしまいましたが)やっとそれを実現させることができました。

 場所も元のグループの人には馴染みのない場所でしたので、誰も来なければオンラインワークの個人セッションをリアルでやればよいと思っていましたが、2コマの時間帯にそれぞれお一人づつ参加があり、先生と参加者2名、計3名でのワークになったことで、広がりもふかみもずっと増したような気がします。

 先生のガイドで同じ動きをやっても、リズムも動きの深さも人によって全然違う。型を覚え込ませるレッスンだったら「だめだめ!何をやっている!」と叱責されそうな状況ですが、このワークではそれぞれが違っていて当たり前。

 うまくできなくても、体の中でスッと流れていかないことがあっても、それを「悪い状態」とジャッジせず、今の自分の体の声としてそのまま受け止める。

 これって口で言うのは簡単だけれど、心からそう思って実現するのは難しいです。心のどこかで「うまくできない自分」を責めたり、他の人と比較して劣等感を抱いてしまう...というのはもちろんのこと、そんな自分を「まだまだだなあ」と思ってしまうこと自体もある種の「評価」です。

 「今の自分をそのまま受け止める」それでいいのだと心から思える場は本当の意味で他者をも尊重できる。お節介はせず、でも本当に助けが必要な時は必要な助けを惜しみなくできる自分がいる。

 そのことを改めて深く感じられました。それは全く違った感覚を持つ生身の他者の存在を、生身の自分の体が感じられたからこその感覚ではないかと思います。

 まだまだいろいろな注意が必要な時期で、私自身も全て対面式にするのは無理なのですが、自分のペースでオンラインと対面を組み合わせながらやっていければいいな。

 12月19日記:
 結局その日の夜には最後まで書ききれず、最後の方は19日朝になってしまいました。

 昨日は夕焼けがとてもきれいで、会場に空が少しだけ見える窓があって、そこからの雲や夕陽のグラデーションが刻々と変わるのを楽しみながらワークしました。

 帰りに電車に乗ったら美しいグラデーションの中に小さいけれど富士山?と思われるシルエットが見え、一緒にワークした方と共に見とれました。

 動く電車の中だったので自分では写真が撮れず、みんなのギャラリーから夕陽の中の富士山を写した写真をお借りしました。(お名前の表記が私には難しくてこちらの文章には記していなくて申し訳ありません。)

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