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【呼吸のワーク日記】(2025.1.26)
相変わらず、終わった途端に「今日のワーク、何やったっけ?」となってしまう私。
でも、今日のワークは、ある意味これまで思っていなかったことに目を開かされたことがあった。
それは、このワークで、先生だけが全て見えていて、その方向に導いているのではなくて、常に相手を別個の1人の人間として、その意思や感覚、気持ち、コンディションを尊重しながら、コミュニケーションを取りながらやっていることなのだということ。
動きのサポートなどで相手の領域に踏み込む時(例えば2人1組で組んで相手の体に触れる時)、触れられる相手に「ここに触れて大丈夫ですか?」「痛くないですか?」などを聞きながら、その人の感覚を尊重するということについて、先生がすごく気をつけているということ。
ワークで動いている時に、先生が少し手を添えてサポートしてくださったりするが、その時、私は先生には私の呼吸の動きや、今、どこをどう動かせばこうなるというのが全て見えていて、それをやってくださっているのだと思っていた。
そして、私には先生のように他者の体の中の動きが見えないし、だから私などには先生のように他者の体に触れることはできないと思い込んでいた。
でも、必ずしもそうではないと言われた。
もちろん、先生には私の数段深いレベルのものが見えているだろう。それでも「見えている」と思っていることにバイアスがかかっている可能性もあるし、そのときの相手の状態を一つ一つ確認しながら進めるのだとのこと。
一方で、相手の体と向き合った時、こういうサポートをした方がよいのではないかということは頭で考えずに自分の体が出してきた答えを相手に提案という形で提示してみるということも必要で、両方を行き来しながらやっているのだという。
両腕を上下から背中で組んでみるというのをサポートしてみるというのを先生に対してやらせてもらった。
自分の背中で組まれた手の状態は自分では見えない。
短時間ではなかなかいいアイデアが出なかったのだけれど、それでも、今目の前の他者の体と向き合って、無理な負担にならないように気をつけながら、こうしたらどうかといろいろ試行錯誤するのは、自分の体を動かして、体の中の感覚を探るのとは別の面白さがあった。
やってもらうだけではなくて、他の人にやって差し上げる経験の積み重ねは大事だなと思った。
こういうのは他の人と一緒にやると、自分では決して思いつかないような方法でやる人がいたりしてきっと面白いよねという言葉に無性に複数人でのグループワークをやりたくなった。
次は2月9日(日曜日)。どなたか一緒にやりませんか?
写真はワークに行きがけに撮った水仙の蕾。今日は蕾が開きかけていました。