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人にとって「歌う」とは?
小学生の頃からピアノを習い、中学からは合唱を、学生、社会人時代を通算して20年ほど合唱団に所属して歌っていました。
団に所属しなくなってからも単発のワークショップに参加したり、海外のシンポジウムに個人で参加したりして、自分の気持ちの中では合唱団には入っていないけれど、合唱を辞めたわけではないという気持ちでいた時期も長かったです。
打ち込み方も結構半端なく、私が何か言う時は全部合唱のことと思っていた人も多いかと思います。
今取り組んでいる呼吸のワークも元々は中断していた合唱団活動への復帰を考え始めた頃、歌える体に戻し、以前から癖が指摘されていた発声の見直しのために始めたものでした。
結果としてはこの呼吸のワークを通じて、指揮者に合わせて美しい音楽を整える形の合唱より、個々の体から出てくる声が響き合い、重なり合った結果としてのハーモニーを楽しみたいという気持ちが強くなって、合唱団への復帰とは違った方向に向かっているのですが、その中で、1年くらい前に気づいたことがあります。
それは私は「音楽」にはそれほど興味を持っていないということでした。
はっきり気づいた時、自分でもびっくりしましたが、同時にこれまで不思議に思っていたことの多くが「音楽には興味がない」という視点で見ると腑に落ちることばかりでした。
それでも、では私が打ち込んできた日々は何だったのか、好きなこと、やりたいことが音楽でないとしたら、自分はこれから何を求めて生きていったら良いのかと途方にくれました。
考え込む中で思い浮かんだのは、音楽には興味ないけれど、「声を出すこと」「歌うこと」「人の声が響き合って生まれた美しいハーモニーの中に身を置くこと」はやっぱり好きだということでした。
これがあったからこそ、音楽に興味のない私が20年以上も合唱を好きでいられたのだと思います。
私にとって、「歌う」「声を出す」ことはきっと外側にある音楽作品に声を当てはめることとは違う、もっと自分そのもの。
だからこそ、人にとって「歌う」って何だろう。このことを理論とか知識という形を超えて、だからといって今「感覚」として認識しているものだけにとらわれることなく、自分が完全に腑に落ちるまで探究したい。
タイムマシンでヒトが歌い始めた瞬間に立ち会ってみたい、ハーモニーの生まれた瞬間の空気を共に吸いたい、そんなとっぴな希望もそこにつながっているように思います。
合唱遊学〜合唱シンポジウムで出会って衝撃を受けたアフリカや中南米の合唱に彼らが生活している場に行って生活と歌がどんなふうに結びついているのかを肌で知りたい〜を夢に見ていた20代、30代に思い切って実現することにもっと努力しておけばよかったと今頃少し後悔しています。
人生の残り時間も少ない中、やっぱりこのことを少しでも突き詰めたいと思い始めました。
ではどうしたら。その具体的な方法を探すところから始めたいと思います。