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効果効能ともメソッドとも無縁な時間【呼吸のワーク日記】(2024.7.14)
今日のワーク、動きを何をやったか、あまり思い出せない。
断片的に思い出すと骨盤を回したなあとか、胸筋のあたりに手を当ててじんわりとした暖かさを味わっていたら、肺が大きく膨らみ出して、伸び伸びと動き出したなあとか。
肺は空気を吸って全身に酸素を送り出して、戻ってきた二酸化炭素を外に吐き出すために膨らんだり縮んだりを繰り返しているのだけれど、機能のために動いているのではなくて、肺が楽しいから動いているのでもいいのではないかなあと思った。
体は左右対称ではない。片方で気持ちよかった動きが反対側では全然心地よくないとか、もっと別の動きを求めているとか。
食物は胃に自分の左側から入って消化されながら右側から抜けていく。だから左半身は胃全体を持ち上げて出口の方の流れやすいようにするのが気持ちいいけれど、右側はむしろ穏やかに腸の方に流れていくのを見守った方が気持ちがいい。
それぞれが違っているいろいろな部位や臓器が互いに機能し合って一つの体を作っている。
最後に何気なく上体を前に倒して脱力し、そこから上体を起こしていくという動きをやった時、これまでにない感覚を味わった。
いつもは脚の力で持ち上げていく感じだったのだが、今日は何だか波のような動きが起きてそれに乗っているだけで体はするすると上がっていき、そのまますんなりと立つ姿勢になっていった。
始める前に先生に「2〜3回やってみてはどうですか?」と提案されていたのだが、繰り返すと前の感覚をなぞる(再現する)ことが目標になってしまう気がして1回でやめてしまった。
同じ動きはこれまでも何度もやっていたが、今日のような感じになったのは初めて。これは再現を求めても無理だし、それを追い求めることも無駄だ。
そして未来には同じことをやって全然違った感覚を味わう日が来るのだろう。それがいつかはまったくわからないが、目指して鍛錬してできるものでもない。
「◯◯のための呼吸」という効果効能とか「この状態を目指していつまでにこういうことをやっていこう」というメソッド的な発想とは無縁のワーク。
ただ体の声を聞く時間を過ごすだけ。