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彼岸明けの日に 2
朝の夢の意味を考える。母は何かを伝えに来たのだろうか。
切手が貼ってあって、でも投函された形跡がない5枚の葉書。字は同じようだったけれど、母の字でも、母より10年先に向こう側に行った父の字でもなかった。
本文を読む前に夢から覚めてしまったから、何が書いてあったのかはわからない。
考えてもわからないので、「葉書」繋がりだけで、先日からやりかけになっていた年賀状の整理作業に取り掛かった。
私はいただいた年賀状やお手紙をこれまで捨てずに持っていた。葉書フォルダーに差出人ごとにずっと取ってあって、ファイルがはち切れそうになっている。
パートナーと一緒に生活を始めた時に転居するため一度整理したので、それ以前のものはさすがにほとんどないのだが、それでももうウン10年分あって、メールやSNSもない時代、個人情報などの観念もなく職場で課員全員の住所録が配られる時代、課内全員に年賀状を出すのが普通だった時代からやり取りしている方もいるので、一度に出す数も割と多く、その分返ってくる数もそこそこ多い。
先日、カレンダーの写真のスクラップブックを捨てたけれど、その時にこの年賀状も整理して、古いものは捨ててと言われて、その時は「嫌だ」と抵抗したのだけど、その直後に「この際やはり整理した方が良いかもしれない」と思うことがあって、まずはここ数年おろそかにしてきたファイルの整理を始めていたのが途中になっていた。
ファイルの中には、既にお亡くなりになっている方からの葉書も数名分残っている。
ファイルへの整理が終わり、まずはそれを抜いていく。
中学時代の担任の先生。50代くらいの若さで病気で亡くなられた先生のおそらく生前最後の年の年賀状には「これまでいろいろとお世話になりました。」と、これが最後になることを知っていたような文章が添えられていた。
いただいた時に私はその意味に気づいていなかった気がする。
大学の時のゼミの教授。年賀状の他に私の結婚を祝してくださった葉書と、数年後のゼミの同窓会にちょうどパートナーが事故で怪我をしていて欠席したことを心配するお見舞いの葉書が出てきた。
小さな個性的な字で葉書一面にびっしりと綴られた温かいそのお葉書を正直、どんな思いで当時読んだのかの記憶が全くない。
私たちの学年は「谷間」のような学年で、少し上の先輩方も、2年下の後輩もそれぞれまとまりが良くて、ゼミの活動もしっかりした成果を上げていたのに、まとまりも今ひとつで、成果も思ったほど上がらず、先生とそれほど親しく接したという記憶がなかった。
そんな私たちにも先生は一人一人の事情を汲んで温かいお気持ちの溢れる手紙をくださっていたということに改めて驚いた。
合唱団の年長の先輩が80代を超えても最後まで歌を歌っていたことがうかがえる葉書もあれば、私よりも年下で合唱団で妹のように思っていた女性からの年賀状には小さなお子さんの写真が添えられていてご本人やご家族の無念さ、悲しみが今でも伝わってくるような気がする。
こうした葉書をシュレッダーにかけるのはどうしても忍びなくて、亡くなられた方の分だけでもお焚き上げのようなことはできないか調べてみたら、そういうサービスはすでに始まっているようだった。
お彼岸はお盆と違って、今生きている人があの世にいる人に思いを寄せる日だとのこと。今朝の夢に出てきた母は、「葉書を通じてあなたの身の回りにいた既に亡くなられた方に思いを馳せなさい」ということを伝えにきたのかもしれない。