
【呼吸のワーク日記】(2024.2.11)
3連休中日のオンラインワーク。
入口での私の不用意な対応が一時「険悪」と言っていいほどの空気を作ってしまった。
実はこのところ主に仕事で、自分の傲り、気の弛みの生み出すような仕事の仕方をしてしまっていることが気になっていて、やんわりと注意されていることも気づきながら、なんとなくズルズルきていたことがワークの場面でも現れてしまって、そのことを厳しく「それは違うだろう!」と指摘された感じだった。
やはりこのワークでは良くも悪くも日頃の生き方が現れる。私の率直な気持ちとしては「あー、こういう形で現れたのか」と思い、仕事でははっきりとは言われなかったことがここで向き合っている先生に厳しく言われたことで、やはりそうだったよなあと力が抜けた。
そのことに関しては、これから自分として初心に返って気を引き締めてやり直していくのみ。
そんな気持ちを持ちつつ、今日のワークとして落ち着いてワークに向き合える地点を探す。
「久しぶりに『骨盤回し』をやってみますか?」と言われて戸惑う。
あまりにも久しぶりすぎて「どうやるんだっけ」とやり方が思い出せなかった。
思い出しながら始めた動きは今の自分にとって一番いい動きの速度、大きさなどを探りながら、少しガクガクすることも。
何度かやってみて、自分の動きの軸になるところ、そしてエネルギーが最終的に戻っていく地点はどこかが見え始める。
今の私にとっては、女性が新たな命を育む場所、子宮のあたりのような気がした。
私自身はもう実際に命を育む年齢は過ぎているが、それでもそこのような気がした。
でも、だとすると体の器官としてそれを持たない男性はどう感じる?女性だって事情で摘出などをしている人もいる。そういう人とは共感し得ないのか?
そう考えた時、観念的な言葉だけの「誰でもそのような自分の命よりも愛おしく思えるような新たな命を育む場所を持っている」でなく、深い実感を伴うものがあるということが相互理解の鍵になるのではないか...。
拙い言葉で紡ぎ出すことを先生はじっと聞いてくださっている。
そして、次にガイドされたのが、「舌で自分の上の前歯に触れて離すということをしてみた時に体の中のどこかに繋がる感覚があるかを観察してみる」だった。
実は私は上の前歯で自分の歯が露出している歯がない。
子供の頃から虫歯になりやすく、今のように虫歯がなくても定期的に歯科医でチェックする習慣も、虫歯でもなるべく自分の歯を残すという診療方針も技術もない時代、中学生くらいの時、上の前歯の2本を抜かざるを得ず、その両脇の歯を差歯にして義歯を渡すという形になった。
他の2本もそれぞれその後虫歯になってしまい差歯になっている。
普段の生活ではほとんど意識することがないので、もちろん先生はそのことを知らない。
セラミックの歯は舌で触れた時の感覚をそのまま体に伝えてくれることはない。どうしようかと色々試しているうちにそれでも差歯として自分の歯の根が残っている歯は少し強めに触れるとその感覚を体の他の部分に伝えてくれるようになった。
そしてそこからなくなってしまっている2本の歯のあたりにも何かが流れるような気がしてきた。
そこから自分の体でよく起こる右側だけの喉の痛みとか、スッキリしない感もやはり歯の影響があるのかもなどとも思った。
そんなことを言葉にすると、「はからずも、『さっきの体の欠損や違いをどう捉えるか』を自分の身を持って体験したことになるのでは?」と言われる。
本当に偶然。あらかじめ今日は何をやると決めない、型や順序にとらわれないワークはこんな偶然を生み出す。
こんなワークの中で呼吸が変わり、声も変わる。
やっぱり呼吸は息をすること、生きていることなのだとしみじみと感じた今日のワーク。