「生身の体を持つ他者」が同じ空間にいることの意味
昨日、久しぶりに呼吸のワークの対面でのグループワークに参加しました。
コロナ前はオンラインでのワークショップなど考えずにやっていましたが、コロナで集まることができなくなり、やむを得ずオンラインワークショップをやるようになり、私自身は2週間に1度のペースでオンラインワークショップをお願いして、個人レッスンをお願いしているわけではないのですが、参加者1人の個人レッスン状態でワークを続けてきました。
昨年末頃から時々対面でのワークを復活させましたが、諸般の事情で初回は他にも参加者がいたものの2回目以降はそちらも1人参加が続いていました。
1人での参加は、他の人を気にせず、自分のペースで体の声をじっくり聞けるメリットがあり、また私は感じたことを言葉にしてみることで、より深いところにいける感じがしていて、つい言葉にしてしまうのですが、他の人の自由な感覚の邪魔になるのではないか、その時間が他の人の時間を奪ってしまうのではないかとかを気にせずにフィードバックできるといったメリットもあり、これを積み重ねてきたことでワークを深められたことは大きいと感じています。
今回、コロナ禍を機に2年ほど前に活動の拠点を出身の九州に移されていたワークショップ仲間の方が久しぶりに上京されるとのことで、こちらもコロナ禍には外出自体を控えられていたワークショップ仲間が最近再開した個人ワークの時間に合流させていただく形でグループワークが実現しました。
もう一方、以前ワークでご一緒したことのある方がたまたまご連絡があって合流され、参加者4名の賑やかなワークになりました。
本当に楽しかったです。準備や片付けも含めて2時間という時間制限が短か過ぎて、「もっとやりたい」「今度はもっと長い時間で設定しよう」と口々に言い合うほど充実した時間でした。
「生身の体を持った複数の他者が同じ空間にいる」ということの力は大きいですね。
一対一の対面ワークは復活させていたけれど、複数の関係性が同時に存在する場所に身を置いていることはまた違った刺激があります。
同じ動きをしていても感じ方もその反応としての体の動き方も人それぞれ。他の人の動きを見ているだけで見ている自分も体が伸びやかになってとても気持ちが良くなる。
自分では思うように触れられない背中に他の人に触れてもらったり、逆に自分が他の人の体に手を触れたりすると、こう触れられるとこういう感じがするのだとかがわかり、逆に他の人の体に触れる時にこうしたらいいのかもというアイデアにもつながる。
体の活性化が1人でやっている時とは全然違う。体が本当に喜んでいる。細胞の一つ一つまでが立体感を持って生き生きと感じられる。
多分、一般的に行われている発声練習とは全く違ったアプローチで自分の呼吸、自分の体に根差した声を出す時の何とも言えない心地よさ。
ファシリテーターである先生を交えて5人の体から、歌おうどころか「正しい発声法で声を出そう」などとは全く考えていない状態で出てきた声は、音程も高さや質がそれぞれ異なるのに決して他を排除せず、その人の声としてしっかり存在しながら、他者の声をも受け入れている。空間の空気の色合いを変えてしまうほどの心地よさが満ちる。
この楽しさが、対面のグループワークの良さだなとつくづく実感した時間でした。
コロナ禍による色々な規制も緩められ、感染のリスクが無くなったわけではないけれど、基本的な感染対策には気をつけながら、こうした時間も少しずつまた再構築していきたいな。
※写真(イラスト)はみんなのフォトギャラリーにあったTOMOさんのイラストを使わせていただきました。
TOMOさんのイラストは以前にも使わせていただき、とてもかわいくてフォローもさせていただいています。いつもありがとうございます。
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